戦後民主主義教育

なにかと評判のよろしくない戦後民主主義教育だけど、これだけは素晴らしいと思うことが一つだけある。
まあ、本当にそれが戦後民主主義教育に関わるものなのかは調べたわけじゃないので、自信ないんだけど、一人の先生だけじゃなくて、複数の先生から言われた覚えがあるので、多分そうだと思う。


それは自習時間。「今日は自習だ」と言われたときはとってもうれしい。体育の自習といったら要するにサッカーやドッジボールで遊べるということだし、図書室での自習といったら好きな本を読めるってことだ。教室での自習の場合は、自分の興味あるところを勉強したり、グループで勉強したりするってことだが、まあ本当は勉強するふりして遊んでいる。教科書に落書きしたり、ノートでマルバツとか五目並べとかよくやっていたな。その間、先生は教壇で本を読むとか、テストの採点とかしてる。だけど、楽しいものだから、次第に大声を上げたり、教室内をバタバタ動く奴も出てくる。


その時、先生が一言。
「他の教室では授業やってるんだぞ。自習とは君達が自主的に勉強するってことだ。それができないのなら先生授業始めるぞ。」
みたいなことを言っていた。あとホームルーム(学活)とかでも、同様なことを言われたことがある。生徒が自主的に規律ある活動をしているとき、先生は介入しない。だけど、生徒が度を越すと先生が介入する。これは、単に先生が困るから、そう言っているというわけでもないだろう。
「自由」を守るためには、勝手自由に行動してはならない。勝手なことをしていると、他者の介入を招く。それを学習するということではなかったろうか(と思う)。


他者の介入を招くと、細かな規則がつくられ、僅かな逸脱があっても咎められることになり、自由度は縮小する。仲間内で、この程度のことはまあ一回くらいならいいじゃないかというような解決をすることは、他者との関係上、困難になる。ルールというものは厳密に守られないと「不公平」になるからだ。
他者の介入を防ぎ、自由を守るためには、自治的な共同体内部の個人個人が節度ある行動をし、問題ある行動をした者に対しては、共同体内でケジメをつけ、他者が見ても納得できる説明ができるようにする。


これはとっても大切なことだよなあと、しみじみ思う今日この頃。