俺にとっての「失われた10年」

失われた10年(ウィキペディア)

失われた10年(うしなわれたじゅうねん)とは、ある国あるいは地域の経済がおよそ10年という長期にわたって不況と停滞に見舞われた時期のことをふりかえって総称的にさす言葉。


バブル崩壊した1990年代が日本ではそう呼ばれている。これは経済に関する話。
で、それはそれとして、俺にとっての90年代もまた「失われた10年」であった。
バブル崩壊の影響をモロに受けたということもあるけど、それだけじゃなくて、俺は90年代になじめなかった。
90年代ってどういう時代だったのかと思い出そうとしても、すぐに出てこない。70年代や80年代なら思いつくことはいくらでもある。
これは俺が年を取って、「昔は良かった」式の懐古趣味になってしまったということもあるかもしれない。だけど、それならば2000年代はさらにそれが進行することになるはずだけど、そうでもない。現にこうしてネットにどっぷりと浸かっている。


だが、90年代はどうもピンとこない。個人的な思い出ならいっぱいある。だけど、どういう社会であったのかというのがわからない。それが俺にとっての90年代。


しかし、ブログを巡回していれば90年代に思い入れがたっぷりあるものも多数見る。だから俺にとってはそうであっても、他人にとってはそうでもないのだろう。そういう人達の書いているものを読んでも、少しもわからない。特に「文化」に関することはさっぱり。映画・テレビドラマ・音楽・小説・漫画・アニメ・ゲーム・アイドル等々、同時代を生きてきたのにさっぱりわからない。理由ははっきりしている。俺がその手のものに接していなかったからだ。


「文化」だけではなく、論壇系の話題についてもよくわからない。例えば朝日新聞批判など、俺にとっては80年代の関心事であって、90年代には、すでに飽きていた。むしろ90年代は保守系論壇によるあまりにも「保守的」な論説、積極的な景気対策をしろとか、規制緩和への慎重論とかにうんざりしていたが、そんなもんだろうと、あきらめていた。論壇誌はほとんど読まなかった(これは今でもそうだけど)。オウム事件で誰がどんな発言をしたのかもほとんど知らない。


映画を全く見なかったわけではない。それどころレンタルでかなり見た。しかし主に古い映画。
音楽を全く聴かなかったわけではない。しかしほとんど50年代〜80年代の洋楽。
小説は司馬遼太郎にはまっていた。これも90年代のものではない。
漫画は読んでいた。だけどあまり印象に残っていない。印象に残っているのは『ナニワ金融道』と『静かなるドン』くらい。その代わり、喫茶店に置いてある『ゴルゴ13』とか熱心に読んでいた。


というわけで、同時代のものが全くなかったわけではないけど少数。どうしてなのか、自分なりに考えたんだけど長くなりそうなので省略。