「疑問の声許せない」と批判=昭和天皇メモで−自民・古賀氏(時事通信)
自民党の古賀誠元幹事長(日本遺族会会長)は30日午前、テレビ朝日の番組に出演し、昭和天皇がA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとされるメモの信ぴょう性を疑う意見があることについて、「とんでもない議論があるのは残念。昭和天皇や英霊に対してもそういう議論は許せない」と厳しく批判した。
⇒昭和天皇発言メモ、疑問の声「許せぬ」…自民・古賀氏(読売新聞)
自民党の古賀誠・元幹事長(日本遺族会会長)は30日のテレビ朝日の番組で、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとされるメモが見つかったことについて、「大御心(おおみこころ)に胸を打たれた。私だけでなく遺族の気持ちだと思う。(メモが偽物という)とんでもない議論があるのは許せない」と述べた。
毎度毎度のことながら、まず確認すべきことは、本当にそんな発言をしたのかということだ。俺は、今までの経験からこの手の誰々が何々と言ったというマスコミの報道を全く信用していない。あまりにも恣意的な報道が多すぎるのだ。確認が容易でないのをいいことにやりたい放題だと言っても言いすぎではないと思う。もちろん本当にそう言ったのかもしれないが、自分の耳で確認するまでは、とてもじゃないが信用できない。
最近はインターネットの発達で確認作業が以前よりは簡単になったとはいえ、全てが可能になったわけじゃない。それが「おかしな発言」であればあるほど、疑ってかかるほうが賢明というものだ。
で、この発言についてだけど、俺は昨日サンデープロジェクトを見ていたんだけど全く気付かなかった。気付いていたなら、俺は古賀氏という人間をあまり好きではないので、喜んでつっこむところだ。まあ、片方ではネットをやりながら、適当に見ているので気付かなかった可能性は大きいけれど。
古賀氏がこういう発言をしたというのは、テレビでの発言だけに、さすがに捏造はしていないだろう。だが、記事の書き方によって、読者の受け取るイメージは全く異なってくる。
問題は「とんでもない議論」とは、どの議論を指しているのかということだ。記事を読めば、それは「メモの信ぴょう性を疑う意見」とか「メモが偽物という」議論のことを指していると受け取れる。そういうことを議論するのが「とんでもない」というのは、確かにおかしな意見だ。
おかしくないと思う人も中にはいるかも知れないが、合祀に賛成・反対にかかわらず少数派だろう。圧倒的多数の人はおかしいと感じるに違いない。当然の感覚だ。なのに、そんなおかしなことを言ったということを何の疑問も持たずに受け入れてしまうとういのは実に不思議なことだ。
まずするべきことは、本当にそんな発言をしたのか?本当に言ったとして真意は何か?ということを考えることだろう。しかし、今までの経験からして、この手のことで人は思考停止に陥ってしまう傾向があるようで、憂慮すべき深刻な問題だと思う。
なお、「古賀誠」でブログ検索すると、この報道があってからのものばかりで、それより前にツッコミを入れているのは一つも見つからない。そして、その後のブログ記事も報道を引用してのものばかりで、それを見ていたという記事は今のところ、俺が調べた限りでは見つからない。こんな状態で、何の疑問も持たずに、古賀氏についてあれこれ言うのは軽率ではなかろうかと思うのだが、そういう視点を持っているものはほぼ皆無。
誰か録画している人で、どういう状況での発言なのか詳細に分析してくれる人はいないかなあ。
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