人間の記憶の曖昧さ

俺はネット上で流布した「福島瑞穂氏の朝生での警官の発砲に関する発言」について、自分も見た覚えがあると書いてきた。しかし、それを証明しろと言われても録画しているわけでもないし、それがいつの出来事だったのかも覚えていないし、さらに、本当にそれが福島氏であったのかも覚束ないし、ましてや会話の内容を逐一覚えているわけではない。ただし、朝生で警官の発砲に関して、田原氏と女性ゲストが、コピペにある会話と類似する会話をしていたことだけは鮮明に記憶している。


その記憶が、証拠がないという理由で、ガセだと言われることには到底納得できるものではない。とはいえ、それを証明する術を持たないのであるから、見ていない人間に対して信用しろと言うには無理がある。


そんな数年前の出来事どころか、俺は昨日サンデープロジェクトを見ていたのにもかかわらず、古賀氏がそんな発言をしたことに気付かなかった。従って、思い出そうとしても思い出せない。


印象に残ったこと以外は覚えていない。あるいは覚えていたとしても忘れてしまうのかもしれない。そのあたりのメカニズムはよくわからない。
確か「x51.org」じゃなかったかと記憶しているが、特殊な例として、数十年前の出来事でも鮮明に覚えているという能力を持つ人がいるそうだ。しかも、普通の人ならその場で見ていたとしても覚えていないような、些細なことまで明瞭に覚えているそうだ。人が持っている能力が異常に発達したのか、それとも別の機能を備えているのか?興味深い。


ところで、これは確か湯川鶴章氏ではなかったかと記憶しているが、googleは将来、人間の脳に記憶装置を装着して、人が生まれてから死ぬまでの記憶を検索できるようにするのではないかというようなことを言っていたように思う。ちょっと怖い気もするが、そうなれば「言った・言わない」の問題の多くは解決できるかもしれない。まあ、そんなことが可能なのかわからないけど。


現状では、そんな技術はまだ実現していないけれど、技術の発達によって、昔よりは過去の記録を検索して確認できる機会は増えた。
ところが、そうであるにもかかわらず、あるいは、そうであるからこそかも知れないが、過去の情報が歪められて流通し、また逆に、証拠がないものは事実でないと断定してしまうことが多くなった気がする。


このことについて有識者はもっと問題意識を持って議論するべきではなかろうかと思う今日この頃。