⇒進化論否定論者のように南京虐殺を扱う東浩紀 - 地下生活者の手遊び
この対談の争点は何か?俺の見るところでは、
東氏は「歴史学者同士なら生産的な会話は可能でしょう。しかしアマチュア同士では意味がない」
と主張しているのに対し、
大塚氏は「そのことに対するきちんとしたテキストの解釈や、事実の配列をし得る地位や教養やバックボーンを持っている」東氏はスルーするべきじゃないと反論する。
つまり、対立しているのは対象を「歴史学者」とするか、それより広い範囲にするかということであり、「地位や教養やバックボーン」など持ち合わせていない俺は対象外。意見は対立しているけれど、「生産的な会話」が可能な人は誰かという問題での対立であることを無視すべきではないと思いますね。
前に書いた記事。
⇒信用するということ
⇒「自分の頭で判断する」