「四国は切り取り次第は事実だったのか?」および「十河存保は反信長だったのか?」について(その2)

おそらく歴史学者・研究者は誰1人主張してないと思うけれど、長宗我部氏側が言う「信長は元親に四国は切り取り次第を認め朱印状を出した」というのは、実は交渉のために派遣された使者が信長に対して、元親が四国を平治すると述べたことに対し、信長が元親嫡子弥三郎に「信」の字を与え、忠節に励むようにという朱印状を給付したことをもって、朱印状自体には「四国は切り取り次第」などとは一切書いていないにもかかわらず、長宗我部氏側はそう受け取ったという、朱印状の解釈のズレによるものである可能性が非常に高いのではないかと思う。


ちなみに俺はつい最近実生活において、言ったつもりのないことを言ったといわれてキレられたというこれに近い体験をした。会話の内容が何だったかについては俺と相手の記憶に相違があるわけではない。にもかかわらず俺が言ったつもりのことと、相手が俺が言ったと受け取ったことは全く違ったものであり、しかも違った意味に受け取っていてキレていることがわかったので、そういう意味ではなく、こういう意味だと丁寧に説明したにもかかわらず、そんなはずはないと言って納得しないので非常に困ったのであった。面倒な話ではあるが、そういうことは世の中では頻繁に起きていることであろうと思われ、俺もこれがはじめてというわけではない。


そういう方向から考えてみる価値は十分にあると思うのである。