池内恵氏の内田樹批判

池内恵氏の、内田樹氏への評価がヒジョーにキビシー/twitterのdadaさんも内田評 - 見えない道場本舗
俺は池内恵という人をこれ見て初めて知ったわけで、ウィキペディアを見るとイスラム政治思想を専門としているそうで。
池内恵 - Wikipedia
ということは、おそらくは池内氏の批判は内田氏がイスラムについて何か述べたことを見ての批判だろうと思われ。それがどういうものだったのか俺は知らない。


で、その批判がどういうものかというと

樹さんのどこがあかんのかというと、一見その文章の中では整合が取れてるような言説でも現実とアジャストしてないのよね。端的にいうと「ただのドグマ」なの。

つづけて

なんでかというと70年代左翼インテリの論理がいかに破綻していったかわしは実地でみていきているから、そりゃ棋譜があるんだから同じ手指したら詰みだってのはアホでもわかりますわな。

と書いているところを見ると、内田先生の論理は「70年代左翼インテリ」と同じようなものだと考えているように思われ。
http://ask.fm/yuuraku618/answer/119079889223


その手のことは確かに左翼インテリの特徴ではあるけれども、しかし内田先生の場合は果たして「一見その文章の中では整合が取れてるような言説」なのかというのは極めて疑わしいところであろうと思うわけであります。もちろん池内氏が見ていて俺が見ていない文章がそのようなものであった可能性があるわけだけれども。


ただし、「一見その文章の中では整合が取れてるような言説」というのが、「人によっては」ということであれば、そういうことがあるのだろうとは思うわけで、つまり内田先生の文章は「難解」であり、真剣に理解しようとしてもなかなかできない(それもそのはず整合が取れてないので理解できるはずがない)ので、にもかかわらず大学の偉い先生が言っているのだからこちらが努力すれば理解できるはずだという思いから、読み手の方が理解しようと努めた結果、「文章の中では整合が取れてるような言説」として(つまり整合が取れないところは目をつぶって再構成して)理解してしまうということはあろうと思うのであります。


したがって内田先生の論理が現実とアジャストしてないというのはその通りだろうけれど、一方、元々が整合性がなくてもあるように見えてしまう代物なので、現実と突き合わせればやがて破綻してしまうというものでもなく、信じようと思えばいつまでも信じることができてしまうという点でやっかいなものだろうと思うわけであります。