直訴

色川大吉氏*4などが既に指摘しているように、少なくとも江戸時代以降、天皇制というのは、現実的支配者に対して不満を持ったり・絶望したりした民衆が天皇に対して救済者として幻想的な期待を抱くということによって存立してきた筈(See eg. 『恋闕 天皇制のオモテとウラ』*5)。但し、それは江戸時代や現代(象徴天皇制)のような政治的な無力を代償としたカリスマであろう。

迫り上がり(メモ) - Living, Loving, Thinking

そもそも江戸時代における大名などに対する直訴とはそういったものであり、悪代官による不正を処断して欲しいと善なる「お上」に訴え出るものであると認識している。


それはそうなんだけれど、じゃあ今回の件はそういう話なのかというと、さてどうだろう?と疑問を持たざるをえないのである。俺にはあの議員の行動は文字通り「理解不能」である。


※ そもそも議員は「領民」じゃないし。どっちかというと「御注進」という方が近いんじゃないか。でもそれも違うか…


行動の真の目的は全くわからないけれど結果としては世間を騒がせ、注目を浴びるという効果があったことは確実なのである。もちろん世間の反応はほとんどが批判なのだけれども、それでも一部には賛成する人がいるわけで、それがかの議員の利益になるのかならないのかといえば、なると俺は思うのである。つまり、ほとんどの人はひっかからないけれど、そんなことは想定済みのことであって、1000人に電話をかけて1人でも騙されれば利益が得られるという詐欺の手口と極めて似ていると思うのである。それを狙ったのかどうかは知らないけれど結果的にはそうなっているのである。これは1億人に電話をかけたのと同じことで1000人に1人でも10万人の信者を得られるのである。これが俺の考える「政治利用」ということ。


下手に知識がある内田樹先生などのインテリは、現実を見ずに知識を元にした空想でもって暴走しているように俺には思えるのである。