信長と天皇(その2)

その後調べたら『信長の政略』(谷口克広)に解説があった。谷口氏によれば、太平洋戦争が終わって信長勤王論を唱える研究科はまったく影をひそめ、

表面的には朝廷を保護していたかのようだが、それは単に利用しただけのもの

という解釈に変化したという。そして

天皇や寺社などの古代的権威と戦い、それらとの徹底した戦いによって、近世への道を開いたという論が主流を占めるようになった。

という論が主流となった。これは俺が歴史にそれほど関心が無かった頃に知っていた信長論っぽい。ただし「表面的には朝廷を保護していた」と「徹底した戦い」というのは、保護が「表面的」であれ矛盾しているようにみえる。その点はこの文章だけではよくわからない。まあ、言わんとすることはなんとなくわからなくもないけど。


その後に

中には安良城盛昭氏のように、信長は天皇制を否定しようとした、という説さえ現れた。

とある。これが俺がネットを始めた頃に盛んに唱えられていた説の先駆けであろう。安良城氏は大物歴史学者でしばしばその名を目にするけれども、その著作を読んだことはない。氏は影響力がある学者ではあるけれども、この説は当時どれほど受け入れられたのだろうか?「説さえ現れた」という表現からみて浸透したというほどではないように思うけれど…


次に1970年代の代表的な論考が紹介されている。一つ目は朝尾直弘氏で、朝廷に対する信長の姿勢は「一歩離れてこれを操縦する」というもの。二つ目は奥野高廣氏で「信長と天皇との関係は対立・緊張関係であり、信長の将軍への希望を正親町天皇が拒否し続けた」というもの。三つ目が脇田修氏で「信長政権と朝廷とは融和関係にあった」というもの。


そして1990年代に今谷明氏が

戦国時代には天皇権威はかえって向上していた、信長の最大の敵は正親町天皇であった。

という説を唱え、この論説自体は後にほとんど覆されることになるのだが

「信長の敵=天皇」という新しい図式がインパクトの強さによって一般にかなり受け入れられていったのである。そして、その図式が一人歩きをする形で、本能寺の変には朝廷勢力の一部がからんでいたという「朝廷黒幕(関与)説」まで生まれてゆくのである。

ということのようだ。これがまさに俺が歴史に強い関心を持つようになった頃のことであり、信長は天皇を超えようとしていたなどという説が大いに流行していたのであった。今でもある。今年の正月にテレ東でやってた『信長燃ゆ』はこの時期の説を大いに取り入れたもの。



さて『信長研究の最前線』で神田裕理氏は「信長は天皇や朝廷をないがしろにしていたのか?」という見出しをつけた論考を書いている。だが谷口氏の説明では「表面的には朝廷を保護していたかのようだが、それは単に利用しただけのもの」という解釈が主流だったというのだから、そもそも「表面的」であっても天皇や朝廷をないがしろにはしてなかったというのが戦後歴史学の見解ではないのだろうか?この「ないがしろにしていたのか?」というのはどういう意味であろうか?信長は「表面的には朝廷を保護していた」けれども天皇や朝廷と「徹底した戦い」をしていたともいう。この「徹底した戦い」が「ないがしろにしていた(と考えられていた)」ということだろうか?


どうも、わかるようなわからないような、結局やっぱりよくわからない。



なお前にも書いたことだけど、天皇・朝廷と武家政権は基本的に何かしら対立があるものであって、平氏政権だろうが鎌倉幕府だろうが室町幕府だろうが江戸幕府だろうが、そして信長政権であろうが朝廷と対立していたと主張しようと思えば主張できるのであって、しかしそれだけでは意味をなさないだろう。対立していたか否かというのは、それを検証することに何の意味があるのかということになるわけだが、戦後歴史学においては「信長は革命児だったのか」ということに関わる問題であり、その「革命」というのはマルクス主義進歩史観によるところの「革命」のことである。しかしながら現在においてはマルクス主義史観は陳腐化しているのであり(学会にはまだ生息しているという話も聞くけど)、よって「信長は革命児だったのか」という問題を論じること自体があまり意味のないことだと俺は思う。いやもちろん過去の信長論の否定ということでは意味があるだろうけれど過去の枠から抜け出していないように見えるんですよね。「革命」という言葉は何も進歩史観にのみ使われる言葉ではなく、別に「中世から近世へ」といった進歩でなくても、世の中が大きく変化した場合であれば「革命」という言葉が使われるのであり、というか一般的な「革命児信長」のイメージはむしろこっちの方ではないかと思われ、「信長は革命児ではなかった」というけれども、信長が変化させたものはあるだろうと思うわけで、それが何だったのか(現在にまで影響のあるものもあれば、信長時代にだけしかなかったものもあるだろう)を進歩史観を取っ払って考える必要があるんだと思う。もちろんそんなことは既にやってるのかもしれないけれど、現在流行中の「信長は革命児ではなかった」論からはそういうのが見えてこないと思うんですよね。