そもそも「革命児」とは何なのか?

信長は戦後「革命児」とされてきたが最新の研究では否定されつつある。とはいうけれど、そもそも「革命児」とは何なのかという基本的なことが考えれば考えるほどわからなくなる。国語辞書的には

1 革命を起こす人。革命の指導者。
2 革命をもたらすような新しい仕事や事業を成し遂げる人。「文壇の―」
かくめいじ【革命児】の意味 - goo国語辞書

ということだけれども。


まず、この場合の「革命」とはマルクス歴史学唯物史観)における、人類に普遍的な歴史の発展段階において、旧来のシステムを破壊して新たな段階に移行することを意味するのであるから、信長の時代は「中世から近世への変革」ということになる(ただし安良城盛昭氏の場合は太閤検地以前を「古代」と規定していた)。そしてその革命において重要な役割を果たした人物が「革命児」なのだろう。


ところでマルクス史観では、歴史の発展は必然であって、ヨーロッパだろうが中国だろうが日本だろうが遅かれ早かれ同じ発展をするのであって(マルクス自身はそんなことは言っておらずヨーロッパ限定らしいが)、すなわち「革命児信長」がいようがいまいが革命は起るのであり、そもそも英雄の個人的な意思によって革命が起きるのではなく、「生産関係を中心とする経済のあり方」の変化によって起こるのである。
唯物史観 - Wikipedia


で、織豊時代を境として社会が変化したというのは、現在でも通用している認識であろうから、この時代に「革命が起きた」ということは、少なくともマルクス史学的には否定されてはいないんだと思う。その「革命の時代」において、信長が革命に大きな役割を果たしたとした場合に「信長は革命児だった」ということになり、実はそうでもなかったとした場合には「信長は革命児ではなかった」ということになるのだろうと思う。


また、この時代にマルクス主義史観があったわけでもなし、当人はそういう意味での「革命」を認識して行動していたなんてことはありえない。しからば当人はどう意識していたかといえば「社会を変えてやろう」と認識していた場合もあれば、そんな意識を全く持ち合わせずに状況に対処をしていたら結果的に社会が変わっていたという場合もあろうと思う。だから当人が「新しい国家を創り出そう」と考えて行動したか否かは革命児か否かを考える要素にはなるけれども、それが決定的な判断要素にはならないと俺は思うんだけれども、「革命児と呼べるのは当人が意識している場合のみ」という定義があるのならその限りにあらず。そこんところも良くわからない。


一番よくわからないのは、「信長が最初に始めたのではなく前例がある」という話で、それは「先駆者か否か」という問題にとっては意味があるけれども、革命児か否かという問題についてはどうなんだろうか?「信長が発明した=信長だけがやっていた=信長は革命児」という図式があるんだろうけれど、そうではなく前例があったとしても、それを取り入れたことによって革命が推進されたとすれば、その人物は革命児(少なくともその一人)ではなかろうか?


結局のところ「信長は革命児ではなかった」という意味は、戦後歴史学者が信長は革命児だとしたときの根拠が揺らいできたということであって、それを踏まえて再検証しなければならないということであろうと思われ、しかしながら今さら唯物史観で革命児か否かなど論じることに意味があるとも思えず。けれどもこの時代に「変化」があったのは事実であろうから、(意図的か否かに関わらず)信長によって(それが現代にまで影響しているか否か、進歩か否かに関わらず)変化したものは何かを考察することが重要なんだと思う。