グローバル化と日本の宗教

しつこく書くけれど「グローバル化」といえば、たとえば農産物の関税を撤廃して自由貿易にしようなんてのがあるけれど「農産物とは何か」が国ごとに違っていては公平にはならないのであって、そこをちゃんと定義しなければならないのである。


だから、欧米人が自分のことを「キリスト教徒」だと主張するのなら、それに対応するには大半の日本人は「仏教徒」と主張するのが一番適切なのだ。ややこしくなったのは神仏を分離したからで、一昔前までは神と仏は同じだったのであり、仏が日本に神の形をして顕現したということになっていたのだから「仏教」で何の問題もないのだ。なおそれが「本来の仏教ではない」というのは多分に誤解からきているものであると俺は思う。


しかるに「キリスト教徒」に対応するものとして「日本教」なるものを持ち出すのは、基準が全く異なっているのでありむしろグローバリズムではなくアンチグローバリズム的な日本特殊論なのである。


どうしても「日本教」と言いたいのなら、それに対応させるためには「キリスト教」ではなく、たとえばイギリス人には「イギリス教」と主張させなければならないだろう。イギリス人の信仰がキリスト教だけによるものだというのは本人達が自覚していなくても事実ではない。


この前も書いたけれど「幽霊」はキリスト教的には存在しないものである。ところがイギリス人は幽霊が大好きだ。

イギリスでは、今日でも幽霊が現れる建物が多数存在しており、歴史的に由緒がある建物などでは、歴史上の人物が幽霊として現れることがある[5]。イギリス人たちは、無類の幽霊好きで、自分の家に幽霊が出ることを自慢しあう[6]。幽霊ファンのような層が存在し、幽霊見学ツアーなどが行われている[7][8]。近代の心霊研究もイギリスを中心に発展した[9]が、その理由は、ひとつには、イギリス人の気質が知的な探究心旺盛なため、幽霊が現れるとされれば、それを怖がったりせず、積極的に知的に調べてみたがるため、とも言われている[10][9]

幽霊を自分の目で見てみたいと思っているイギリス人も多いので、イギリスでは幽霊が出るとの評判が高い住宅・物件は、通常の物件よりもむしろ高価で取引されていることもある[11]日本では、幽霊が出る建物となると、悪い噂になるなどと考えて、ひた隠しにしようとしてしまう傾向がある[12]のとは、対照的である。[13]

幽霊屋敷 - Wikipedia


「知的な探究心旺盛なため」などと言っているけれど、そんな理由だけのはずがない。なまじ自分達がキリスト教徒だと思っているがために日本人以上に信仰に無自覚なだけだろう。