「信長様」は間違いか?(その3)

で、元に戻って、なぜ歴史史料に「信長」という記述があるのかという問題。


織田信長」ではなく「信長」としか書いていない。これはそもそも「織田信長」ではなく「平信長」の「平」を省いたものだろう。織田の場合は「織田三郎」だ。


信長は朝廷から官位を貰っている。天正5年に従二位・右大臣、翌6年に正二位。同年右大臣・右近衛大将を辞職。だから「前右府」となる。


朝臣としては「平信長」ということになる。ゆえに(第三者にも)「信長」と記されるのかもしれない。


ただし、先に書いたように「秋田城介」の信忠は「城介殿」であって「信忠」と書かれてない。その違いはどこから来るのかはやっぱりわからない。官位の差だろうか?


※ ところで「信長様」と呼ばないというのは諱は忌避されるという文脈で語られていることが多いのだが、では「三郎様」とは呼ばれていたのかってことにもなる。しかし家臣は「上様」とか呼んでいただろうとは思う。


ただ、これが当主ではない者に対してはどうかということになると『三河物語』をみると家康の長男の信康も三郎だが「三郎様」と呼ばれていたらしきように思われる(なお信康は家康を「大殿」と呼んでいたようだ)。