「信長様」は間違いか?(その2)

もちろんドラマなどで家臣が主君を「信長様」と呼ぶというのは違和感がある。なんでそう呼ぶのだろうか?


脚本家が歴史に無知だからなのか?しかし、単純な無知なら現代の習慣をそのまま過去にあてはめるはずだ。織田信長という名前の社長がいる会社で社員が社長のことを「信長様」「信長さん」なんて呼ぶとはちょっと考えられない。普通は「社長」だろう。だから、無知の場合は、単に知らないだけではなく、昔の人は「信長様」と呼んだという「間違った知識」を持っているということになる。


一方、知ってはいるが「視聴者のため」にそう呼ぶという可能性もある。しかし、たとえば「相棒」で署長のことは「署長」と呼ぶし、警察庁長官官房室長のことは「官房長」と呼ぶ。現代劇では名前だけで呼ぶというわけではない。なのに時代劇ではなぜ名前で呼ばなければならないのか?なお「水戸黄門」では徳川光圀は「ご隠居」とか「ご老公」と呼ばれている。それで視聴者が理解できなくなるなんてことはない。


なぜ(全てではないだろうが)歴史ドラマで「信長様」と呼ぶのかは、それはそれで一つの研究テーマになろう。