『信長公記』を読む(織田信長暗殺未遂事件)その3

如何にも人を忍ぶ体に相見え候。詞のあやしき様体、不審に存知、心を付け、彼等が泊り々々あたりに宿を借り、

彼らはいかにも人を忍ぶ様子に見えた。「信長は長くない」という言葉も怪しく思い、不審だったので、気をつけて、彼らが泊まる宿の近くに宿を借りた。

こざかしきわらんべをちか付け、

「こざかしきわらんべ」は、土地の子供なのか、宿の丁稚小僧なのか?俺はそうではなくて一行の1人だと思う。南條範夫織田信長』にも「彼ら一行の中の小童(こわっぱ)をうまくたらし込み」と書いてあった。第三者をスパイにしたのではなくて、三河人だと偽って油断させて直接聞いたということだろう。

京にして湯入りの衆にて候か、誰にて候ぞと尋ね候へば、三川の国の者にて候と申すに付いて、心をゆるし、

「京にして湯入りの衆にて候か」とは「京で湯に入るのが目的なのですか?」と聞いたということだけれど、「京で湯に入る」とはどういうことか?南條範夫織田信長』では

「私は駿河の者だが、あの方々はどちらの衆か、有馬の温泉にでも赴かれるのか」

とある。「駿河の者」というのは謎だが「三河の今川家の者」ということか?有馬温泉のことを「京」とは言わないと思われ。これは小説だから創作したということもできるけれど、京都に温泉に入りに行くというのは不自然だから有馬にしたのだろう。しかし「湯入り」とはおそらくは「湯風呂に入る」ことだと思われ、当時は湯風呂が珍しかったからわざわざ京都まで行くということがあったのではなかろうか。前にテレビでそういうのやってた記憶がある。

わらんべ申す様に、湯入りにてもなくて、美濃国より大事の御使いを請取り、上総介殿の討手に上り候と申し候。

童は「湯入りではなく、美濃国より大事の命令を請け、信長を討つために上洛するのだ」と答えた。「美濃国より大事の御使いを請取り」とあるだけでは「美濃衆」とは限らないが、後に「美濃衆」と明記してある。

人数は、
小池吉内、平美作、近松田面、宮川八右衛門、野木次左衛門、
是れ等なり。

そのまんま。前に5〜6人と書いてあったけど5人。彼らが他の史料で確認できる人物なのかは知らない。

夜るは伴の衆に紛れ、近々と引き付け、様子を聞くに、

宿は別だから、一行の宿に行って紛れ込んで暗殺計画を聞いたということだろう。よくばれなかったものだ。と思ったけれど、よく考えればそうではなくて、これは宿ではなくて夜に旅している時に聞いたということのようだ。「夜る」というのは「夜」とは別なのか?ここはあとでまた考える。

公方の御覚悟さへ参り候て、其の宿の者に仰せ付けられ候はゞ、鉄炮にて打ち候はんには何の子細あるまじきと申し候。

公方(将軍足利義輝)が承知して「宿の者(一行が自分達をそう呼ぶとは思えないので兵蔵視点だろう)」に命じれば、鉄砲で討ち果たすことに何の不都合もないだろうと話していたということだと思われ。しかし将軍が信長暗殺に加担する理由がわからない。ものすごく楽観的な見方をしているのか、何か成算があってのことか?非常に謎。
信長公記首巻中
の現代語訳では

「あとで公方様の許し状を貰って宿の者に下されれば、宿を襲うて鉄砲で討ちとっても不都合は生じまい」

と「あとで」とあるのは事後承諾という意味か?ちょっとわからない。


南條範夫織田信長』では

その上、場合によっては、夜に紛れて鉄砲で討取る謀もあり、大丈夫です

と小童が答えたことになっている。しかしこの解釈はかなり無理があると思う。


(つづく)