前回「革命と復古」という記事を書いた。フランス革命について詳しくないと前置きして書いたもので、自分でも確信があるわけではない。
今回、さらに韓国について全く詳しくなく、その上明治維新でさえ詳しくないにもかかわらず、またちょっと書いてみる。
きっかけは、この記事を読んだから。
⇒フランスのJapan Expo2011がヤバイ:ハムスター速報
この手の話は良く2ちゃんねるのまとめサイトで目にする。なんとウィキペディアにも記事があった。
⇒韓国起源説 - Wikipedia
「日本に対する韓国起源説の発生理由」として「事大主義・小中華思想・儒教・属国史」と書かれている。そうなのかもしれないけれど、俺は「革命と復古」という側面から考えてみる必要性もあるんじゃないかと思う。
前回、フランス革命は中世の伝統や慣習を徹底的に破壊したと書いた。そして新古典主義はギリシャ・ローマに回帰した。これは無関係なことではないだろう。「ギリシャ・ローマに回帰した」の「回帰」とは「ひとまわりして、もとの所に帰ること」だ。すなわち自分達の「もとの所」がギリシャ・ローマだと認識しているということだ。しかし、果してその認識が正しいのかといえば議論の余地があるだろう。俺はこの点についても詳しくないのだが、少なくともギリシャ・ローマ以外の土着文化の影響を無視することはできないだろう。
「中世の否定」は日本にもあった。江戸暗黒史観はつい最近まであったし、現在でも消滅したわけではない。日本の場合は江戸時代だけではなく、天皇親政が本来の姿であれば、藤原摂関政治から武家が実質的に統治していた時代までが否定の対象になるので「中世の否定」では不正確かもしれないが。
維新以降に織田信長や豊臣秀吉が評価されたのは徳川幕府否定の意味もあるだろうけれど、曲がりなりにも天皇を復権させたと考えられたからでもあるだろう。
明治維新によって伝統文化が破壊されたということが良く言われる。この場合の伝統文化というのも、無差別に破壊されたというわけではなくて、また古いからという理由でのみ破壊されたわけでもなくて、この「中世の否定」という側面があるのだろう。古代天皇制を肯定するような伝統は破壊されるどころか、むしろ保護されたのではなかろうか(学術的にはそれが却って破壊になるということもあったかもしれないが)。いや、これについても詳しくないんだけれど。
日本人が中世の文化の価値を評価するようになったのは、西洋人がそれを評価したからという側面が大きいのではないか?これまた俺は詳しくない。本当詳しくないことだらけですまないが、そういう逸話は良く聞く。
で、本題の韓国の場合。日本に「江戸暗黒史観」があるように、どうやら韓国には「李朝暗黒史観」があるらしい。
日本の統治下で育った韓国の朴正煕元大統領は自著『国家、民族、私』で、李氏朝鮮について次の言葉を遺している。
「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である」
「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである」
「今日の若い世代は、既成世代とともに先祖たちの足跡を恨めしい眼で振り返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」
⇒李氏朝鮮 - Wikipedia
⇒韓国起源説 - Wikipedia
この認識が一般的なものなのか俺は知らないが、別のところで見たこともあり、また今まで書いてきたように「中世の否定」という現象が欧州や日本にも発生しているという点から見ても、現在の韓国人の深層心理にそういう認識が根付いている可能性は十分あると思う(これまた自信があるわけではないけれど)。
この考えが当っているならば、韓国人の過剰な古代朝鮮に対する思い入れや、起源を唱える行為は、「中世の否定」と表裏の関係にあるのかもしれない。だとすれば、もしかしたら、この手のことは「李朝暗黒史観」を見直すなんてことがあれば、意外にあっさり失速する可能性もあったりしてね。