革命と復古

La mort du jeune Barra: 極東ブログ

俺は絵画のことはさっぱりだし、フランス革命についてもそんなに詳しくないんだけれど、思ったことを書いてみる。


ダヴィッドはバリバリの革命派だったそうだ。フランス革命は中世の伝統や慣習を徹底的に破壊した。それらが人民を抑圧していると考えたからだ。それは芸術の分野でもそうだろう。


破壊するのは割と簡単だけれども創造するのは難しい。というわけで「原点回帰」というのが良くあるパターン。この場合の「原点」とはギリシャ・ローマのことであって、「野蛮人」の文化のことではない。


またキリスト教会の影響下にある文化のことでもないだろう。
(と思って検索したら「キリストの磔刑」という絵があった。これは何だろう?情報がないので想像するしかないけれど、「人間キリスト」を描いたものではなかろうか?イエス・キリスト自体は否定しないけれど(教会によって作られた)神話的・伝説的要素を排除するみたいな?少なくとも天使は降臨していない。でも間違ってたらゴメン)


で、そういう流れで「バラの死」の艶めかしい死体の描写になっているんじゃなかろうか?


ところで、フランス革命で中世が否定されたように、日本も明治維新でそれまでのものが否定されることになった(日本の場合は武家の時代と藤原氏摂関政治の時代、また不徹底ながら仏教でさえ)。そしてここでも「原点回帰」ということで神話時代がクローズアップされることになる。しかし、神話時代の芸術といえば埴輪とかいうことになってしまう。だからといって中世は否定されるべきものだ(大陸からの影響もあるし)。維新後の日本神話を題材にした絵画にギリシャ・ローマ風のものがあるのは単なる西洋かぶれというわけではないだろう。


と思うんだけれど、思いつきだから自信があるわけではない。