信長観がまた変化しているらしい

文芸評論家・加藤弘一の書評ブログ : 『信長の政略 信長は中世をどこまで破壊したか』 谷口克広 (学研)


織田信長に対する評価というのは時代によってコロコロと変わる。

 対朝廷政策については幕末の勤王思想家は信長を勤王家の先達と評価し、明治8年建勲神社創建にいたるが、勤王家という見方は田中義成『織田時代史』によって学説として確立され、第二次大戦期まで信長観を支配することになる。

 ところが敗戦後、信長を中世を終わらせた革命家として評価する見方が浮上し、信長は天皇制否定したとする安良城盛昭の説まで出てくる。

(以下略)


勤皇家から一転して、反逆児、革命家、そして天皇制否定へとエスカレートしてきたところで、朝廷対立説から朝廷融和説へとまたまた変化してきた。ということは俺も既に書いている。
忠臣信長(あれから8年もたったのか…)


このへんが落ち着きどころかと思っていたのだが、どうやらそうではなさそうだ。今のトレンドは信長の革新性を否定することらしい。先の池上裕子氏の『織田信長 (人物叢書)』も「信長を英雄視しない」というスタンスであった(それは歴史を冷静に見つめるという意味では極めて正しい態度だけれども)。


そして、この書評。「著者は信長は中世から離脱しきれなかったという立場」だそうだ。気になる点は「中世から離脱」ということ。一体それはどういう意味だろうか?唯物史観においては「進むべき方向」がはっきりしている。その方向に一直線に進んでいるように見えないから中世から離脱しきれなかったということだろうか?


なんかまたまた妙な方向に向かっているような感じがしないでもないが、読んで確かめてみないことにはどうしようもない。