キリスト教と進歩史観とルネサンス

【賢者に学ぶ】哲学者・適菜収 先人に「上から目線」の愚+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

 かつては「昔の人だからすごい」という感覚はあっても「昔の人なのにすごい」という感覚はなかった。偉大な過去に驚異を感じ、畏敬の念を抱き、古典の模倣を繰り返すことにより文明は維持されてきたからだ。過去は単純に美化されたのではなく、常に現在との緊張関係において捉えられていた。


ここまでは特に言うことは無い。だが、

たとえば、15世紀のイタリア・ルネサンスは、古代ギリシャ古代ローマの《再生》による人間の復興を目指す運動だった。同時にそれは、進歩史観の起源にあたるキリスト教歴史観に対する芸術の反逆でもあった。ところが近代において進歩史観が勝利を占め、過去は《冷徹な歴史法則》なるものにより都合よく整理されてしまった。歴史は学問の対象に、古典は教養の枠に閉じ込められた。大衆社会において、ついに歴史は趣味になる。現代人の趣味に合わないものは「昔の人の価値観だから」と否定されるようになった。大衆は自分たちが文化の最前線にいると思い込むようになり、古典的な規範を認めず、視線を未来にだけ向けるようになった。過去に対する思い上がり、現在が過去より優れているという根拠のない確信…。畏れ敬う感覚が社会から失われたのである。

という主張は納得できない。


といっても上手く説明できるほどの知識はないけれど、たとえば、

続いてペトラルカ(1304年 - 1374年)は古典古代の時代こそ人間性が肯定されていた理想の時代であり、中世(キリスト教公認以降のローマ帝国が衰退した時代)を暗黒時代と考えた。

ルネサンス史(ルネサンス - Wikipedia)
という説明を見るだけでも、このような「中世の否定」こそがまさに

「昔の人の価値観だから」と否定されるようになった。

古典的な規範を認めず、視線を未来にだけ向けるようになった

過去に対する思い上がり、現在が過去より優れているという根拠のない確信

に該当するのではないか?と思う。


ヨーロッパにおいては、西ローマ帝国滅亡後、ルネサンスの前までの中世を指して暗黒時代とも言われる。ルネサンス初期の人文主義者・ペトラルカが古典古代の失われた時代を "tenebrae"(ラテン語で闇)と呼んだのが「暗黒時代」観の始まりとされ、ルネサンス期の見方では、古代ギリシア古代ローマの偉大な文化が衰退し、蛮族(主にゲルマン人)の支配する停滞した時代とされていた。また、啓蒙主義進歩史観のもとでも中世は停滞した時代と考えられてきた。

暗黒時代 - Wikipedia


「衰退」とか「停滞」という言葉は進歩史観があるからこそ存在するのではないか?


(追記6/9)

ブルクハルトは彼がイタリア・ルネッサンスの中に、つまり伝統的なもの共同体的なものにならなんでも闘いを挑み、ルネッサンス期イタリアの新興資本と新興権力に熱心に仕えた「根なし草」的人文主義者の中に見出した種類の個人主義をひどく嫌ったが、その彼もバーク的な用語で西欧の未来を見ていた。彼は人間性の賛美、個人の本質的善性に対する信頼を、それ自体社会組織を破壊する可能性を秘めた力とみなし、それはやがて人類を「長靴をはいた戦士」という新しい人種からなる救いがたい臣民に変えてしまうと考えた。

(『保守主義 ― 夢と現実』ロバート・ニスベット 昭和堂