保守思想と中世の軽視

保守といえば伝統や文化を重視することだと一般的に考えられている。そのせいか過去のある時代を重視すればそれで保守だと思っている人がいる。しかし中世を軽視して古代を重視するような考え方は確かに過去を重視しているには違いないが、それを果たして保守と言えるのかといえば違うだろうと思う。

ルネサンス期の見方では、古代ギリシア古代ローマの偉大な文化が衰退し、蛮族(主にゲルマン人)の支配する停滞した時代とされていた。また、啓蒙主義進歩史観のもとでも中世は停滞した時代と考えられてきた。

暗黒時代 - Wikipedia
このような考え方は保守とは相容れないものだろう。無論、保守を自任するような人は愛国主義的である場合が多いから、中世を徹底的に否定するようなことまではしないだろうが、中世よりも古代に重きを置く自称「保守」は結構いるように思われる。


日本では中世は武士の時代であり天皇の権力が形骸化した時代だという意味で、皇国史観的に中世は軽視されてきた。しかし、これが日本特有の現象かというとそうではなく、ヨーロッパでもそうだし、韓国人がやたらに超古代的な主張をするのもおそらくは中世へのコンプレックスからくるものだと思われる。


俺はニーチェの哲学について良く知らない。ニーチェの哲学は保守思想に影響を与えたと言われることがある。しかし、ニーチェは中世を否定し古代を賛美していたのではないかと思われる記述をよく見かける(これも良く知らないのだが)。もし、そうならニーチェと保守は相容れない部分がある。ところが日本の保守論者の中にはニーチェに強い思い入れを持っている人が多いように思われる。ニーチェのどこを受け入れているのかにもよるけれど、古代への偏好を受け入れるのなら、それは(バーク流の)保守とは違う思想になるのではあるまいか?


(そういえば「つくる会」の教科書は今はどうだか知らないけれど、大きな話題になっていた頃には古代の比率が他社と比較して多いというような指摘がなされていたように思う)