日本人の大半は仏教徒である

グローバル化の中で日本の宗教を意識できないと負ける - 狐の王国


宗教の定義についてはいろいろややこしいけれど、欧米人が「私はキリスト教徒です」と言うとき、大半の日本人の場合、それに対応するのは「私は仏教徒です」ということになるのではないだろうか?


少なくとも江戸時代の「日本人」ならそう答えたはずだ(「大半の日本人」といちいち書くのが面倒なので以下「日本人」と書く)


ところが現代の日本人は無宗教であることを主張する。それはなぜか?この部分が一般にあまり論じられていないように思う。


昔よりも信仰心が薄れたからなのか?しかしそれを言うなら欧米人だって似たようなものだろう。


日本人は仏教だけではなく神社に参拝し、あるいはクリスマスを祝うからなのか?おそらくそれが大きな原因の一つだろう。


ただし、欧米のキリスト教徒が純粋にキリスト教だけしか影響を受けていないかといえば、そういうわけでもないだろう。映画・小説などを見るにキリスト教では存在しえないはずの幽霊を信じる者は結構いるはずだ。


またギリシャローマ神話が排除されているわけでもない。もっともギリシャローマ神話は宗教として受け入れられているわけではないという考えも可能かもしれない。しかしそれを言えば儒教も日本では宗教性は薄いともいえる。仏教も場合によっては宗教というより哲学である場合もある。


キリスト教徒の大半は両親がキリスト教徒であって、生まれた時点でキリスト教徒とされ、そのままキリスト教徒として生涯を過ごすのだろう。熱心に信仰しなければキリスト教徒ではないなんてことはなかろう。日本人の葬式の9割が仏式だそうだが、先祖が仏教徒の家は仏式で葬式をやり、それが代々続いているということだろう。自らの意思で宗教を選ぶ人というのは一部にすぎない。


そう考えれば、彼らが自己をキリスト教徒と主張するならば、日本人が仏教徒であることを主張するのに何ら支障はないはずだ。


それなのに、なぜか日本人は無宗教を主張する。


江戸時代から現代までの間に何かがあったからだろう。


それは何か?


真っ先に思いつくのは「神仏分離」だ。神仏習合だったものが分離されたことによって自分達が信仰しているものは一体何なのだという点で困惑が生じたであろう。


また「神仏分離」の思想的背景は原理主義であると言ってよいだろう。ヨーロッパの宗教改革を「原始キリスト教精神に帰るルネサンス的運動」と捉える考え方があるが、日本でも同様の考え方があったということだろう。近代というのはは「原理主義」が流行した時代だと思う。その考え方で仏教をみたとき「日本仏教は本来の仏教ではない」という考え方が起こるだろう。実際今でもそういうことを言うインテリがいる。


そんなこんなで日本人は自分達が信仰しているものは一体なんなのだろう?ということがわからなくなってきたということがあるのではないか?江戸時代の人なら「仏教徒」と主張することに何ら疑念がなかったのが、本当に自分は仏教徒なのだろうかと不安になってきたということではなかろうか?


そして、日本人は仏教も神道も、あるいはキリスト教のお祭りも受け入れる「宗教的に無節操でいいかげんな民族だ」という考えが受け入れられて、それが「いい加減なのは宗教を本気で信じているわけではないからだ」という話になり、さらにそれが「無宗教」ということになったということではなかろうか。