「進歩史観」の現状はどうなっているのだろう?それがよくわからない。いやつい最近まではわかっているつもりだった。進歩史観は過去の遺物だと。
もちろん今でも「人類は進歩する・進歩しなければならない」という漠然とした形ならば、そういう信念を持っている人は少なからずいると思う。だけど奴隷制→封建制社会→資本主義→社会主義→共産主義と人類は発展していくという普遍的な法則があるなんてことをいまどき本気で信じているのはよほどの変人だけだろうと思っていた。
たとえば聞くところによると、中国共産党はかつてこの史観によって中国史に「封建制」を見出そうと試みた。しかし今はマルクス主義歴史学は間違っていたとは言ってないかもしれないけれど実質的にその試みを断念したと聞く。
日本共産党はどうなのかと思って検索したら
この見方は、戦後、日本の歴史観の大変革をもたらしました。終戦まで日本の歴史は「天皇家と忠実な家臣」で組み立てられた“英雄冒険の歴史”で描かれていました。しかし、マルクスの社会観で日本社会を概括すると、原始共同体→奴隷制→封建制→資本主義と発展しています。「マルクスの見方は、過去の歴史も現在の社会の実態も無限の例証をもっている」(不破さん)のです。
⇒公開連続セミナー 「マルクスは生きている」/未来開く現代に生きがい/不破社研所長の講演と参加者の感想から
と今でも放棄してない模様。ただし不破哲三は政治家であって歴史学者ではないし、84歳という年齢からして今さら若い時に信じたことを捨てることはできないということもあるかもしれない。
で、ソ連崩壊から20年以上経った21世紀の現在において、いまだに進歩史観で歴史を語る歴史学者なんかいないだろうと思っていた。実際昔の本には出てくるけれど最近の本では見かけないものだと思ってた。盛んだったのはせいぜい1980年代前半くらいまでで、その後は衰退して今ではほとんどなくなったものだと思ってた。
だから織田信長に関する従来の見方を覆すと称して、進歩史観を基にした「信長派中世を破壊したのか」とか「信長は革命児だったのか」といった主張が次々と出てくることに非常に違和感を感じるのである。
たとえば『織田信長 <天下人>の実像』 (金子拓 講談社現代新書)は未読だけれど、amazonの「商品の説明」に
そもそも信長は、組織的な「政権」は作りませんでした。征服した領土の経営も家臣に丸投げで、支配の方式に革新的な面はありません。その点でも秀吉に比べ信長の「権力」は中途半端な中世的な段階に止まっていたと見做した方がよいのです。
- 作者: 金子拓
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/08/19
- メディア: 新書
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しかし前に書いたように、これは進歩史観が崩壊したという俺の認識が間違っているのかもしれない。歴史学界ではいまだに進歩史観が生き残っているのかもしれない。だとしたらなぜいまだに生き残っているのか?単に昔の考えにしがみついているだけなのか?ちゃんとした理由があってのことなのか?それは昔と同じものなのか、それとも何か改良が加えられたものなのか?そういうことが俺にはさっぱりわからないのである。