言いたいことはわからなくもないけど的外れ(その2)

で、上に書いたことは、話題としてはもう旬を過ぎていることなんだけど、今さらこんなことを書いたのは、昨日、
100年前からこんにちわ(Meine Sache 〜マイネ・ザッヘ〜)
という記事を読んだから。呉智英氏のコラム、
【コラム・断】大衆芸術と民主主義(イザ!)
に対する批判。ここで呉氏は、

大衆芸術を衆愚芸術にしないよう、文化庁は一考すべきだろう。

と主張しているわけだけど、先の『文藝春秋』でも氏は、

ソボクな合理主義、タンジュンな正義感は、滑稽かつ醜悪な社会を生む。

と書いている。「衆愚批判」が氏の一貫したテーマであるらしい。


言いたいことはわからなくもない。わからなくもないんだけど、的が外れているように思われる。


日本のメディア芸術百選
そもそもこれは「アンケート」だ。アンケートで選ばれたものがこれだと言っているだけだ。だから『この「芸術百選」は端的に言って衆愚的な人気投票なのである。』と言われても、そうですがそれが何か?という話でしかない。


アンケートも、専門家による評価も、どちらも価値があるものだと思う。どっちが優れているとかいうものではなかろう。もちろん、「芸術百選」をアンケートで選ぶべきか、専門家が選ぶべきか、ということには議論の余地があるだろう。呉氏が、専門家が選ぶべきだと考えるのなら、そう主張すれば良い。ただし、これはどちらが正しいかという問題ではない。それだけのことだ。


(ちなみに専門家が選んだ上位作品も発表されている)
あの人の10選


というか、アンケートで選ぼうと決ったのは、民主的な手続きで決ったわけではなく、「文化庁メディア芸術祭実行委員会」ってところが決めたのだろう。国会で決ったとは思えない。これがおかしいというのなら、これは「衆愚」ではなくて、専門家が愚かだということに他ならないのではなかろうかなんて思ったりもする。
というか、封建時代にだって、衆議で決めることはあったわけで、大衆が決める、即民主主義批判ってどうなのって感じ。


何でこんなことになるのかというと、愚考するに、呉氏はとにかく、衆愚政治というものを批判したい、何かあれば衆愚政治批判に繋げて啓蒙したいと思っているのではなかろうか?だもんで無理が出てしまうのではなかろうか?衆愚政治批判自体はとっても意義のあることだと思うんですけどね。