ガリレオ裁判とブログ炎上

数ヶ月前に某有名ブロガー界隈で、ブログ炎上をガリレオ裁判になぞらえた言論があって、某ジャーナリストが某メディアで取り上げたこともあって、話題になっていたんだけど、俺はそれより前にここでガリレオとブログ炎上を絡めて書いているんですよね。


火中の栗を拾う


そういうこともあって、何か言及しようかとも思ったけど、彼らが何を主張したいのか今ひとつわからず、面倒なので止めた。で、今日またガリレオ云々という記事を見かけたので、今さらながら書こうと思う。

しかし、ケプラーガリレオも、まだ、鳥が何故取り残されないのか、地球が何故止まらないで動き続けているのか、という疑問には正確な答えが出せないままでいた。これを完成させるのは、アイザック・ニュートンの登場を待つ必要があった。ニュートンが慣性を定式化することにより、地動説はすべての疑問に答え、かつ、惑星の位置の計算によってもその正しさを証明できる学説となったのである。

⇒地動説(ウィキペディア


1回目のガリレオ裁判は1616年の出来事。2回目は1633年。「ニュートンの登場」がいつのことか、詳しくないのでわからないが、『プリンキピア』が刊行されたのは1687年のこと。ざっと半世紀以上の時が経過している。逆に言えば、ニュートン以前の地動説は完璧なものではなかったとも言える。


しかし、ニュートン以前にも地動説は徐々に受け入れられていった。なぜかといえば、

教皇庁が何と言おうと、惑星の位置は地動説を基にしなければ計算できない時代が始まりつつあった。

(同上)
からである。要するに、実用上、地動説で計算したほうが遥かに便利であったからであろう(ちなみに又聞きだけど、全身麻酔の原理はいまだ良くわからないらしい。それでも医師が全身麻酔を利用するのは、実用上役に立つからであろう)。


ガリレオ裁判についてはいろいろな説があって、政治的な理由があったとも言われているが、それはともかく、当時の知識では地動説に異を唱えるのは宗教者や無知な民衆だけでなく、れっきとした科学者であっても地動説を疑う正当な理由があったのである。科学はその疑問に答えることによって進歩してきたのである。異議を唱えることが許されなかったら、科学の進歩はないし、疑似科学も簡単に受け入れられてしまうことになる。


そういえば「ビッグバン宇宙論」も科学界では「定常宇宙論」が主流であり、すっかり忘れられた存在だったのが、後に「再発見」されたのだということを「ヴォイニッチの科学書」で言っていた。
「ヴォイニッチの科学書」 Chapter-132 2006年 ノーベル物理学賞


ちなみに「big bang」とは、フレッド・ホイルが、宇宙膨張理論を批判する際に使った言葉だったりする。
フレッド・ホイル(ウィキペディア)