「天海=光秀」説

次に「天海=明智光秀」説なんだけど、これはもう、お話にならないトンデモでございます。そもそも多くの人が勘違いしているのは、この説が古くからある「伝説」であると考えている点なんですが、俺の調べたところでは、この説は戦後出てきたもののようです。


その大元は『光秀行状記』(明智滝朗 中部経済新聞社 1967年)であろうと思われます。著者の名字の明智なんですけど、この明智はまさに明智光秀明智であり、つまり著者は子孫です(養子?)。というとトンデモのように見えますけど、史実ではないにしても、そう言い伝えられてきたのは事実のようなので、これをトンデモというのは適切ではなかろうと思います。著書の中身ですけど、読む前に想像してたのとは全く違って、良質な光秀研究本でした。で、この本の最後に、「光秀=天海」説が書いてあるんだけど、それは、「もしそうだったら面白いよね」程度のものでありまして、学術的にはどうよということになるかもしれないけど、そんな無茶苦茶なことが書いてあるというわけでもありませんでした。


それがなぜ、今のような形の「光秀=天海」説になったのか調べたんだけど、どうもよくわかりません。手元に『光秀行状記』がないので、記憶違いかもしれないけど、「日光の近くに天海が明智平と名付けた地名がある」なんて話は載ってなかったように思います。どこから出てきたのでしょう。松永氏は、「いろいろな根拠とされるものをふるいにかけた結果」「いくつか明智と天海の関係を偲ばせるものが残った」として明智平のことを紹介していますが、「明智平」を天海が命名したという根拠が不明です。俺はさんざん調べたんだけど、わかりませんでした。


古くからの伝説でないから事実でないとはいえないけれど、それに加えて根拠が怪しいものばかりなのが「天海=光秀」説なのでありまして、どうしてこんなトンデモ説が根強く生き残っているのか、トンデモにしても、もっとマシなものが他にたくさんあるだろうにと、常々不思議に思っているのであります。
(さらに続く)