『天海・光秀の謎−会計と文化−』

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『天海・光秀の謎――会計と文化――〔改訂版〕』書評


俺が読んだのは、平成5年初版のものなので「改訂版」とは多少違うかもしれないけど、思うところを少し。


まず、前半部分は後回しにして、「日光と久能山を結ぶライン」について。これについては前に少しだけ書いた。
『シリウスの都 飛鳥』ってどうよ?


岩辺教授の「六芒星を二つ日本地図上に描き」というのは、もう話にならないトンデモだけど、「日光と久能山を結ぶライン」については、そうは思わない。詳しく書く時間は今ないので省略する(いつか書くつもり)が、俺は実際に地図で確認した。


家康は、遺体を久能山に、葬礼を増上寺で、位牌は岡崎の大樹寺に、そして日光に小さき堂を建てよと遺言した。その、久能山と日光を結ぶ線上に世良田東照宮があり、久能山大樹寺を結ぶ直線上に鳳来寺山東照宮がある。偶然の一致にしては出来すぎていないだろうか。ただし、指摘している人を見たことがない(確認する人が少ないということだろう)けれど、実は、久能山大樹寺の間の鳳来寺の誤差は僅かだが、久能山と日光の間にある世良田東照宮は約800メートル(俺調べ:以下同じ)離れた場所にある。これは誤差というには大きい。だから、「関係ない」と切り捨てるべきなのか。しかし、この位置関係はあまりにも魅力的。


で、ここで発想の転換久能山と日光を結ぶ直線上に「近い」ところに、世良田東照宮があるのは「偶然」であるとする。それでも、なぜ「偶然」世良田東照宮が存在するのかと考えた。それは、世良田(群馬県太田市)と徳川(同)が隣接しているからではないのだろうか。「徳川」とは、徳川家康の祖とされる徳川(新田)義季の居館のあった「徳川」である(史実かどうかはともかく)。実はこの直線は「徳川」を通過している。


と、このように考えるのだけど、これはあくまで俺の推測。偶然かもしれない。しかし、このケースは現状では、「グレーゾーン」に置いておくべきものだと思うのであります。


ちなみに、「諏訪神社鹿島神宮のほぼ真西にある」というのも実際に調べたことがある。鹿島神宮を起点として東西線を引いて、諏訪大社と比較してみたのだけど、諏訪大社は諏訪周辺に四箇所の境内地を持つので、どれと比較するかによって全く違ってくる。そして東西線と一番近い、上社前宮と比較しても、誤差は約2.5キロもある。2.5キロを誤差の範囲というのは、いくらなんでも無茶。こういうのはどんどん排除していくべきものであると、肯定派から見ても思うのであります。


(長くなったので続く)