人民のための政府

リンカーンの有名なゲティスバーグ演説にある、「人民の、人民による、人民のための政府」について、藤岡信勝氏が産経のコラムで論じている。


【正論】藤岡信勝 リンカーン演説と「戦後民主主義」-コラむニュース:イザ!


この論争については前に書いた。
人民の人民による人民のための政治


藤岡氏の解釈では、「人民を『対象』として統治する政府」ということだから、「岡田晃久+ 山形浩生 訳」と同じ。どれが正しいのだろう?いまだにわかりません。


現役中学生よりも劣る英語力しかない俺は、「government」というのは統治という意味だけど、そこには「誰が何のために」というのが必ず付随するものではないのか?「government」と言った場合、「誰が何のために」統治するのかがわからなければいけないのではないか?説明しない場合は、それを聞いた人が、「誰が何のために」統治するのかを、あらかじめ理解していることが前提になるのではないか?単独に「government of the people」を訳す場合には、「誰が何のために」統治するのかというところまで文脈によって理解して訳す必要があるのではないか?だとすれば、「government of the people」のゲティスバーグ演説における意訳は「人民の統治(人民による、人民のための)」になるのではないか?もちろん通しで訳せば、「人民の統治(人民による、人民のための)、人民による、人民のための」となってしまい、日本語としてどうよって話だけど。などなど考えを廻らしてみる。


で、「人民の政府」だろうが「人民を統治する」だろうが、そりゃ同じ意味だろと、ぶっちゃけ「人民政府」とか「人民独裁」とか訳したって構わんだろ、というかそっちのほうが理解しやすいのではないかと思ったりするのだが、しかし、それだと共産主義みたいになっちゃう。ただし、リンカーン演説は1863年のことで、マルクス(1818〜1883)と同時代のことであって、同時代的雰囲気として、ある程度かぶっているんじゃなかろうかと、この時代に、後の米ソ対立なんてことが予想できるわけもなく、王党派から見れば、米国だって「左翼」だろとも言えるわけで、だからといって米国を「左翼」というのも不適当に思えるわけで。「過去の言葉」を現代的に解釈するのは難しいというのが混乱の原因ではないのか、かといって当の米国で論争になっているという話も聞かないから、日本特有の言語的問題なのか、あるいは米国人の間でも意味が変質したのか…


やっぱりわからん。俺の能力では無理だ。