イタリア式複式簿記

ヨーロッパの簿記が日本に伝来していたのではないかという考えは実に魅力的なもので、それはそういうことがあったかもしれないねと思うのだけれど、俺はこの分野に全く疎いので、何とも評価のしようがありません。


ただし、「蒲生氏郷の家臣になったと一書に記されているロルテスという南蛮人」については、書いておきたいことがあります。このロルテスについては、知る人ぞ知るマニアックな話でありまして、俺もそういう話があるということだけは知っていたんだけど、それがどんな史料に書かれているのかということまでは知りませんでした。それが『天海・光秀の謎−会計と文化−』を読んで初めてわかったという意味で、この本を読んだことは無駄ではなかったと思ったのであります。でも、それを知って俺が思ったことは、著者の岩辺晃三氏とは正反対のことでした。


まず、その部分を『天海・光秀の謎−会計と文化−』から引用します。

 この蒲生氏郷の家臣の中に、イタリア人のロルテスこと山科勝成なる人物が存在したのであるが、これは蒲生氏郷の後孫の家に伝えられたといわれる『御祐筆日記抄略』(以下これを『御祐筆日記』と言う)と題する写本の中にみられるのである。『御祐筆日記』については、明治37(1904)年10月発行の雑誌『太陽』において渡辺修二郎氏が「蒲生氏郷羅馬遣使説の出處」と題する論文で紹介された。
 その論文によると、蒲生氏郷がローマに使いを遣わしたということが、『外交志稿』(外務省)および『世界に於ける日本人』(渡辺修二郎著)で記されて、内外史家の注意が惹起された。そこで、帝国大学史料編纂掛においてこれに関する材料が探されたが、結局、それが得られず、そのために蒲生氏郷ローマ遣使説は根拠がないと断定された。それに対し、渡辺氏は、蒲生氏郷の後孫の家から『御祐筆日記』を発見し、これが『外交志』などで材料となった『蒲生家記』の原書となるものとした、ということである。


ロルテスについて書いてあるのは、『御祐筆日記抄略』という史料ですが、この史料は「蒲生氏郷の後孫の家に伝えられたといわれる」ものです。この「蒲生氏郷の後孫の家」について具体的に誰なのかわかりません。しかもそれが「伝えられたといわれる」という、曖昧な記述になっています。しかもそれは「写本」なんだそうです。


で、それだけならまだいいんだけど、さらに、この史料は、「雑誌『太陽』において渡辺修二郎氏が「蒲生氏郷羅馬遣使説の出處」と題する論文で紹介された」ものによって知ることができるのであって、実は、渡辺修二郎という人が、そういう史料があると主張しているということがわかるというだけの代物です。本当に「史料」が存在するのかさえわからないのであります。


岩辺晃三氏は別のところで、

イタリア人ロルテスについては、明治37(1904)年に、渡辺修二郎氏によって発見された『御祐筆日記』のなかにその名の存在が知られたわけである。『御祐筆日記』は、寛永19(1642)年に大野五左衛門によって執筆されたものである。その後、それに関連する資料が見当たらず、根拠がないとして、『御祐筆日記』そのものが歴史的に否定されたままとなっているようである。

と書いています。「『御祐筆日記』そのものが歴史的に否定されたままとなっているようである」とありますが、岩辺氏はそれでも「ロルテスの実在性を認めざるを得ないと」と考えているようです。しかし、俺もこれだけの根拠で、この「史料」を信用するのはいかがなものかと思うわけです。


ちなみに、その『御祐筆日記』の原文なんだけど、『天海・光秀の謎−会計と文化−』に一部紹介されているので下に記します。

「(天正5年、西暦1577)10月5日、外池勘右衛門出頭し、或る方より添書を得て、羅馬国の人ロルテスと申者参り、御召抱を願ひ候、此者は外国の武士にて、兵法、天文、地理の諸学は各其奥機(義?)を極め、張良孔明をも凌ぐべきものの由言上すれば、氏郷卿其書面をも御覧ありて、老臣の面々に御詮議あるべしとて、同9日老臣を召し集めて仰せられけるは、今度或る方より添書を以て参りし羅馬国の武士にて、ロルテスと云うものあり、其者は彼国の武士にて、兵法、天法(文?)地理等の諸学は一として極めずと云う事なし、召抱へ置かば然らんと思ふなり、唯日本人と違ひ、他国の者なれば如何あるべきや、各心底を隠さず評議あるべしと、氏郷卿仰せあれば………〔中略〕………能く其人となりを御覧ありて後、御用ひ在らせられ候へば然るべしとの論に一決し、終に御扶持を被下。斯くてロルテス大砲小銃其他種々の武器を作り、山科羅久呂左衛門勝成と改名せり。」

俺は「外国」「他国」「日本人」「小銃」「武器」とか気になるんだけど、古文に通じているわけではないので、あくまで気になるとだけ述べておきます。


天海・光秀の謎―会計と文化

天海・光秀の謎―会計と文化