終りなき思考

ここのところ、不二家納豆ダイエットに関して何回か書いていて、内容が重複している。同じこと何回も書くのは、自分でもどうかと思うんだけど、上手く説明ができていないように思って、どうやったら説得力ある説明ができるのか試行錯誤中。


この手の議論の特徴として、「愚かな大衆」がいて、その誤った認識を批判する「有識者」が必ず登場するんだけど、ところが、その「有識者」の言ってることは、今までも同じようなことが起きれば必ず言われてきたステレオタイプなもので、しかも特殊な場所でだけ言われているわけでもなく、テレビのコメンテーターやら、一般雑誌やらで普通に言われているありきたりなものなんですよね。すでに耳タコ状態。この手の話を聞いたことがない人のほうが珍しいのではなかろうか。その程度のことならロボットにでもできるんじゃないかとさえ思えるのであって、実際、俺はその手の主張を見るたびに、知る人ぞ知る「朝日新聞的社説(自動生成)」を思い出してしまう。


どうもね、何というか、予定調和的というか、まあ、それをおかしいと思う俺も、予定調和の中に入っているんだろうけど…


やっぱりね、人間、思考が停止しちゃいけないと思うんですよね。他人の言論を見て、それがおかしいと批判する。それはいいと思う。だけど自分の考えが正しいのかも常に見直してみる必要がある。たとえ人から批判されなくても、見直してみる。永遠に結論はでないかもしれない。いや結論は出ないだろう。それでも見直し続けなければならない。そんな風に思う今日この頃。