昔ながらの味

そのスジ番長・大山即席斎さん10月2日(TBS RADIO あべこうじのポッドキャスト番長)

あべ「味的には変わってるんですか。このカップヌードルは。この35年」
大山「基本的に同じ味なんですよ。ただし基本的に同じていうのは、食べた側が同じ味のように感じる、ていう意味で同じなんですよね」
あべ「ということは、今の、現代の人の口に合わせるように、日清さんが、ちょいちょい変えていると、味を」
大山「テレビでよく開発者の方がおっしゃってるんですけど、同じ味のように思わせるためには、毎回少しずつ、味を向上さしていかないと、同じ味には思われないんだそうですよ」
あべ「そんな苦労があるんですか」

何の漫画か忘れたけど、昔読んだ漫画にも似たようなことが書いてあった。若い頃に食べたのと同じラーメンが食べたいということで、探し回るんだけど見つからない。昔と同じだと言われて出されたものを食べても、自分が昔食べたのはこんなものじゃないと文句を言う。ところが、それは本当に昔と同じ味のものであって、それがそう思えないのは、美味しいものを滅多に食べることができなかった時代に食べて、とても美味しかったという記憶が鮮明に残っていているから。そんな話じゃなかったかと思う。


「体感治安と実際には落差」(o^-')b 東京新聞♪|女子リベ  安原宏美--編集者のブログ


「日本の治安は悪化していない」


それはそうなんだろう。日本の治安が悪化していると感じるのは勘違いなんだろう。じゃあどうしてそんな勘違いをするのか。東京新聞によると、メディアの影響が大きいそうだ。そういうことも確かにあるだろう。


しかし、それだけなのだろうか?俺はそう思えない。社会は変化している。変化している中にあって、犯罪件数が変化しない、あるいは減少しているとしても、悪化していると感じることはあり得る。昔食べたのと同じラーメンを食べて、こんな味じゃなかったと思うのと同じように。「昔と同じ」にするためには、昔と同じものを出せば良いと考えていると、商売だったら失敗する。「治安が悪化している」と感じている人が多いということも、同様に考えてみれば、統計資料を持ち出して説明しても、「治安が悪化している」という感覚を払拭することは難しい。


もちろん、だからといって、人々が考える「昔と変わらない」状態にするために、過度に窮屈な社会になるのは、決して好ましいことではない。だけど、それに対抗するために、統計を持ち出して「勘違い」を指摘するだけでは、モヤモヤとしたものが残るだろう。このあたり説明するのが難しいのだけど、科学と宗教の対立と似たようなところがあるかもしれない。非科学的だろうがなんだろうが、人々は不安を持っているのであり、それを「科学的に正しい説明」だけで解消できるとは俺には思えないんですね。