日本の古くからの常識

行き過ぎた個人主義が揺り戻す共同体精神(第16回) 日下公人氏 日経BP社(去年2月の記事)
「Munchener Brucke - 個人主義批判」経由)

 しかし、古くからの日本の常識では、「親が悪い、親子ともども罰しろ」とか、あるいは「我が子は許してくれ、親の私が代わりに牢屋に入る」とか、少なく とも江戸時代はそうだった。親に監督責任があるなら親も罰する。けれども今の日本の刑法はそうではなくて、やった個人を罰することになっている。個人を罰 するとなると、「子どもに責任能力はないから」と考えて、結局は無罪になってしまう。


 人間は一人では生きていられないわけで、だからこそ昔は連帯責任があった。親子連帯、親族連帯、あるいは地域ぐるみ、5人組という制度もあった。「お前が変なことをすると、こっちまで罰せられる」ため、相互監視による予防効果があったのだ。こういう制度は実は世界中いまでも至るところ にある。


俺は日本史好きなんだけど、この方面は苦手。で、

「親が悪い、親子ともども罰しろ」とか、あるいは「我が子は許してくれ、親の私が代わりに牢屋に入る」とか、少なくとも江戸時代はそうだった。

って、本当にそんなことあったのだろうか?逆なら何となくありそうなんだけど。儒教道徳的には親の罪の代わりに子が罰を受けるってありそうじゃない?あと武士の世界では、復讐を恐れて一族皆殺しとかがあったのは間違いないだろう。親の責任についてはよくわからん。


あと「五人組」。
五人組 (日本史)(ウィキペディア)

実態は、逃散したりして潰れた家や実際の住民構成とはかけ離れた内容が五人組帳に記載されていた場合があったり、また年貢滞納をはじめとする村の中の争議は、村請制の下では五人組ではなく村落規模で合議・責任処理されるのが普通であったため効果としては疑問がある。しかし五人組制度が存在することによって、間接的に名主・庄屋の権威を裏付け、住民の生活を制約すると同時に町村の自治とりまとめを強化することには役立った。

これを見ると実態は結構いい加減じゃない?実際は「村落規模で合議・責任処理されるのが普通」。俺の認識では、領主は基本的には年貢さえ払ってもらえば良いわけで、村のことは村で処理しろと、一方、村の方も「お上」の介入がイヤだから、自分達のことは自分達で処理すると、要するに「自治」の精神が強くあったのではなかろうかと、まあ、よく知らないんだけど。


保守主義が共同体を尊重するってのは、個人主義というものが個人と国家を直接結びつける=全体主義に繋がるというのを問題視しているってのが俺の認識であって、共同体が国家の下請けになることを希望しているものだとは思わないんですけどね。まあ、勉強不足。