「4世紀ぶり」の和解

壬辰倭乱日本軍総司令官17代孫「先祖の代わりにお詫びします」中央日報

今回の行事は安東市と「西?柳成竜先生追慕事業準備委員会」が平和を念願するために壬辰倭乱で互いに刀を交わした戦争当事者の子孫たちを招待して行われた。準備委員会は追慕祭が開かれる前日の11日から400年ぶりの和解を導いた。


400年ぶりの歴史的和解=文禄・慶長の役ゆかりの日韓子孫時事通信

戦火を交えた日韓武将の子孫らも出席し、4世紀ぶりの和解を果たした。


歴史ファンとしては、「和解」云々よりも、歴史的人物の子孫というほうが気になる。しかし、それよりもっと気になるのは、2002.11.24日の記事。


壬辰倭乱時の韓・日子孫、親善集いを開催中央日報

このような集いは1999年、壬乱戦場の跡地の1つである幸州(ヘンジュ)山城で初めて開催されて以来、2000年は釜山(プサン)忠烈祠、昨年は日本の大阪城で開催された。

1999年以降、毎年やっているみたい。「4世紀ぶり」というのは、何が「4世紀ぶり」だったのだろうか?