科学と非科学の間(1)

社会学玄論 : 疑似科学批判が流行る理由
社会学玄論 : 菊池先生と天羽さんへ


ここで、具体的に批判の対象とされているのは大阪大学教授の菊池誠氏なんだけど、俺の知る限りでは菊池氏はそういう人ではないと思うので的外れのように見える。ただ、そういう具体的な話はこの際無視して、ここでの議論(コメント欄)を読むと興味深い。


というのも、この前書いた「乳房温存療法」に関する裁判は、まさにこれと関係してくるように思えるから。最高裁平成13年判決は、「胸筋温存乳房切除術」と「乳房温存療法」とで、当時、一方は確立した術式であるが、もう一方は未確立のものであったが、判決は、

当該療法(術式)が少なからぬ医療機関において実施されており,相当数の実施例があり,これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては,患者が当該療法(術式)の適応である可能性があり,かつ,患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無,実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては,たとえ医師自身が当該療法(術式)について消極的な評価をしており,自らはそれを実施する意思を有していないときであっても,なお,患者に対して,医師の知っている範囲で,当該療法(術式)の内容,適応可能性やそれを 受けた場合の利害得失,当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである。

平成10年(オ)第576号平成13年11月27日第三小法廷判決


すなわちこれを「科学と非科学」問題に当てはめれば、一方は確立しているものであるが、一方は未だボーダーライン上にあるものであった。現在は確立されたものとされているが、当時はこける可能性もあったのである。裁判の争点はまさにこの点にあった。大阪高裁の判断は、

しかし,本件手術当時,同療法を実施するには,従来の術式を実施しないことにつき十分なインフォームド・コンセントが必要とされていたこと,本件手術当時,乳房温存療法は,欧米や日本での比較試験や実施例の報告により,その予後等について一応の積極的評価がされており,また,同療法の実施を開始した医療機関も多くあり,その一応の有効性,安全性が確認されつつあったといえるが,同療法は,その実施割合も低く,その安全性が確立されていたとはいえないことからすれば,被上告人において,同療法実施における危険を冒してまで同療法を受けてみてはどうかとの質問を投げ掛けなければならない状況には至っていなかったと認めるのが相当である。したがって,被上告人の上記説明は,他に選択可能な治療方法の説明として不十分なところはなかった。

要するに確立されていなかったのだから、説明義務違反とはいえないというもの。それに対し最高裁は、

 一般的にいうならば,実施予定の療法(術式)は医療水準として確立したものであるが,他の療法(術式)が医療水準として未確立のものである場合には,医師は後者について常に説明義務を負うと解することはできない。とはいえ,このような未確立の療法(術式)ではあっても,医師が説明義務を負うと解される場合があることも否定できない。少なくとも,当該療法(術式)が少なからぬ医療機関において実施されており,相当数の実施例があり,これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては,患者が当該療法(術式)の適応である可能性があり,かつ,患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無,実施 可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては,たとえ医師自身が当該療法(術式)について消極的な評価をしており,自らはそれを実施する意思を有していないときであっても,なお,患者に対して,医師の知っている範囲で,当該療法(術式)の内容,適応可能性やそれを受けた場合の 利害得失,当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである。

という判断を下した。要するに、未確立であっても、場合によっては説明する義務がある場合があるよということ。


(つづく)