まじめに働いてたらいいってもんじゃない(その2)

俺は経済のド素人なんだけど、どうも気になってしょうがない。


ハードSFと戦争と物理学と化学と医学 : ソ連は悪平等社会ではなかった

しかし、ソ連社会には富の再分配という概念が存在しないため、不平等が露骨に放置されていた。

そうかも知れないけれど、最大の問題は、物資の絶対的な不足と流通の不備にあるのではないのか?

医療は無料だが、その水準は恐ろしく低く、ソ連を視察しにきた米国医療関係者は「この程度の医療なら米国でも無料だ」とコメントした。

とは、まさにそういうことではないのか?てな疑問を持つのだが、ド素人なんで深く突っ込めない。


それはそれとして、ここで紹介されている、『ソ連経済の歴史的転換はなるか』という本について、何か情報はないかと検索して見つけた書評記事。


森本忠夫 『ソ連経済730日の幻想』ブラキンスキー&シュヴィゴドー 『ソ連経済の歴史的転換はなるか』(書評:ほら貝)

 労働だけが価値を生みだすなら、そしてその評価の基準となるのがが冷厳な市場ではなく、国家の計画であるなら、労力をかければかけるほど、商品は価値の高いものになり、逆に労力がかからなければ、どんなに希少なものでも価値が低いことになる。つまり、どれだけ無駄使いをしようと、生産高をあげた方が得をするわけだ。これでは効率をあげようという意欲など生まれない。幸か不幸か、ソ連は世界有数の資源国だったために、70年間、浪費を続けることが可能だった。

これってまさに、前の記事で俺が言いたかったことに繋がると思う。