まじめに働いてたらいいってもんじゃない

俺は経済のド素人なんだけど、どうも気になってしょうがない。大勢の読者がいるんだから、誰か俺より詳しい人が何か言わないかと思っていたんだけど、その気配がないから素朴な疑問を一応書いとく。


奉祝!55年体制復活 (内田樹の研究室)

社保庁の乱脈ぶりが伝えられたとき、「これほど腐敗した官僚たちに食い物にされながら、それでもまだ年金支給の原資が残っていた」ことに私は感動した。
社保庁にだって、まじめに働いていた人がそれだけいたということである。
どのような組織にもろくに働きのない人間、いるだけで赤字が増える人間が20%くらいいる。
だいたい給料分働いている人間が60%。
利益を出しているのは残る20%だけである。
でも、それで十分なのだ。
100%が必死に働く必要なんかない。
社会システムというのは5人に1人くらい「働き者」がいれば十分回るように設計されているのである。
それ以上の「働き者」を必要とするシステムは設計の仕方が間違っているのである。

意味がわからない。
まず、「まじめに働いていた人間」と「利益を出している」人間は同じじゃないと思います。まじめに働いたって成果を出せない人がいるんだから。というか、官庁の「利益」って何だろう?というか、そもそも「まじめ」の意味が良くわからないんだけど、サボらないという意味なら、社保庁の職員がサボったせいで、無駄な人件費がかかったとしても、それは財政の無駄であって、年金支給の原資と関係ないのでは?じゃあ「まじめ」とは、年金加入者のことを「まじめ」に考えて働くという意味なのかといえば、そうとも読み取れないし。


次に「社保庁の乱脈ぶり」というのが何を指すのか不明だけど、職員の横領事件についてなら、そういう意味の「まじめ」「まじめじゃない」とかとは別次元の話では?未納情報等の業務目的外閲覧なら、年金支給の原資とは直接の関係は無いのでは?年金記録のずさんな管理についても原資とは関係無いのでは?そしてグリーンピア等の失敗については、まさに彼らが、まじめに仕事をした結果なのでは?余計なことなどせず、さぼってくれていれば良かったのでは?(もちろん、さぼる余裕があるのなら職員を削減すべきだが)。マイナスの仕事をいくらまじめにやったとて、損失が増えるだけなのでは?


と思うんだけど。違うかな?