『ソ連経済の歴史的転換はなるか』を借りてきた

(S・ブラギンスキー+V・シュビドゴー 講談社現代新書 1991年)


まだ借りてきたばっかりだけど、とりあえず、第一部第二章「神話だった福祉国家」をサラッと見た。最後のほうに、

本当の福祉国家を実現するためには、まず経済的に相当の余力がなければならない。換言すれば、活発で効率的な経済基盤があってはじめて福祉に専念できる。ソ連にそれはない。したがって、社会主義の理想がどうのこうのという話以前に、根本的に福祉国家が不可能なのだ。

と書いてある。


一昨日の日記で、「最大の問題は、物資の絶対的な不足と流通の不備にあるのではないのか?」と書いたが、当たらずとも遠からずってところか。


これは人気コンサートのチケットに例えることができるんじゃないかとド素人の俺は思う。チケットは金がなければ買えない。しかし金があっても必ず買えるとは限らない。席に限りがあるからだ。買えなかった場合、どうしてもコンサートに行きたかったらどうするか?一つはダフ屋で高いチケットを買う。人気コンサートだと正規の料金の数倍、時には数十倍するかもしれない。貧乏人には手が出せない。もう一つはコネを使う。身内に関係者に顔が利く偉いさんがいれば入手できる可能性が高まる。カネもコネもない弱者は泣く泣くあきらめるしかない。そんな感じ?


あと、「ソ連経済では誰が誰を食うか」という項で、

ソ連経済における最悪の搾取は、それが「搾取」をなくし皆を平等に扱おうとする目的自体に由来することである。効率的に機能する企業であっても、年々莫大な赤字を出しつづける企業であっても、すべて国家(レーニンのいう「一つの事務所」!)が面倒を見て、そこに働く従業員のペイには差がない。その結果として良心的に仕事をするのがだんだんばかばかしくなってくる。

と書いている。これは、よく言われる「悪平等」ってやつですよね。で、

要するに、「国が経済の行方を求める」、そして「皆平等である」という社会主義経済の二大柱は経済の歪みからくる搾取、徒食者による勤労者からの搾取、そしてさらにはブラックマーケットや腐敗官僚による搾取という現象を生み出し、先進国では考えられない社会的不平等をもたらしたのである。

と極めて真っ当なことが書いてありました。


ところでこれは日本にとっても他人事じゃないと思うのは、これから日本は少子高齢化労働人口が減ってくる。それなのに、従来と同じような国の政策によって、労働力の最適配分に歪みが生じれば、財政赤字は別にしても悲惨なことになりかねないわけですからね。


この本めちゃくちゃ面白そうなので、じっくり読んでまた何か書くかも。