「空気を読めるほうが実は怖ろしい」(その1)

1:空気を読んだそのあとに (デキルヤツノ条件):NBonline(日経ビジネス オンライン)

このコラムを書いた降旗学氏はこう述べる。

 私が違和感を覚えるのは、これをビジネスシーンに置き換えた場合だ。
 結論からさきに言おう。
 私は、空気を読めるほうが実は怖ろしいと思っている。


そして、具体的な例を挙げている。


ミートホープ社には、「泥をかぶるのは工場長、社長一族はシラを切り通すという決め事が、経営陣に一致した“空気”」があったことを挙げる。だが、「三男専務は皆で示し合わせていた決定事項をぶち壊しにした」。それに対し、「知らぬ存ぜぬで通すと決めた“経営陣の空気”を見事に読み切った会見が船場吉兆だ」とする。


さて、ここで疑問が湧く。「空気を読めるほうが実は怖ろしい」の「怖ろしい」とは一体どういう意味での「怖ろしい」なのか?


シラを切り通されれば「消費者」にとって怖ろしいことだったとは言えるだろう。だけど、経営者にとってはそうではない。現にミートホープ社は破産し、社長は逮捕された。シラを切り通すことに成功すれば、違った展開になったかもしれない。いや、それは無理な話で、遅かれ早かれ事は露見すると考えることも可能であり、おそらくそうなっただろう。だから不祥事が発覚したからには一刻も早く包み隠さず真相を話すべきだとは言える。そうすれば情状酌量の余地が多少はできる。それを阻害する「空気」は「怖ろしい」ともいえる。


ただ、消費者にとっての「怖ろしい」と、経営陣にとっての「怖ろしい」は意味が違う。両者をひとまとめにして「怖ろしい」と言っているのか、それともどちらかの意味で「怖ろしい」と言っているのか、判断がつきかねる。