東浩紀商法

話題になっているので読んでみた。
東浩紀の渦状言論: 信頼社会は不安社会よりいいのか?


信頼ベースの社会と不安ベースの社会だったら信頼ベースのほうがいいのは自明で、そして日本の現状では信頼を再構築するために愛国教育とか社会奉仕が必要なのだ、という議論があります。


そういう議論を俺は知らないので、ここで早くも挫折。しかし、それじゃあんまりなので読み進む。

イメージで語ると、それってこういう比較だと思うわけです。信頼ベースの社会では、社会設計が信頼(主観的な安全保障)と技術(客観的な安全保障) に頼る比率が7:3だとする。他方で不安ベースの社会では、その比率が3:7だとする(信頼が主観的で技術が客観的と言えるのかとか、それってなんの数字かとかは問わないでください。あくまでも比喩です)。信頼の醸成には特別のコストはかからないが監視社会のインフラにはコストがかかるのだとすれば、前者のほうが社会投資が半分で済むのでいいということになる。それに、なによりも「人間」を見ている感じがする。
しかし別の見方もできる。たとえばここに、ある日本人がいて、彼は同じ日本人は信頼度が1だけど、アメリカ人は0.7ぐらいで、中国人ともなれば 0.3がせいぜいだと考えているとする。信頼ベースの社会では、彼にとって日本人の総合安全値は10(7+3)だけど、アメリカ人は8(7×0.7+ 3)、そして中国人はわずか5(7×0.3+3)で、これじゃ中国人とはとても取引できないという話になる。他方で不安ベースの社会では、その数字はそれ ぞれ10(3+7)、9(3×0.7+7)、8(3×0.3+7)であって、まあ中国人と取引してもいいかという話になる。つまりは、セキュリティのインフラがしっかりしているから、信頼できない相手と取引してもそれほどリスクが増えないという計算になる。こういう見方をすれば、不安ベースの社会だって悪くないという話になる。それはある点では、信頼ベースの社会より「平等」だからです。

信頼ベースの社会では総合安全値は、日本人10。アメリカ人は8、中国人は5。
不安ベースの社会では総合安全値は、日本人10。アメリカ人は9、中国人は8。


なるほど、不安ベースの社会の方が「お得」に見える。これはもう「不安ベース社」と契約しない手はありませんよ、お客さん。しかし、「契約書」をよく読めば「不安ベース社」と契約すると「コスト」という年会費が取られるみたいですね。しかも、いくら取られるのか書いてませんね。年会費1000円くらいなら契約してもいいかもしれないけれど、10万円だったら大赤字じゃん(って何の契約だ?)。


まあ、それでも「平等」は実現できるかもしれない。どこかで聞いた話と似ている。「一部の金持ちと、それよりは豊かでない人々がいる社会」と「全員が貧しいが平等な社会」のどっちを選ぶかって話。よく知らないけれど、赤木さんがそんなこと言ってなかったっけ(自信ないけど)。