倭姫王の歌の謎 (4)

俺のトンデモ推理はまだまだ続く。


倭姫王の歌は当初、正しく解釈されていたはず。その「正しい解釈」とは、俺の考えでは、『「竜馬」(雷)に乗った天智天皇(の魂)は「木幡」で天に昇ったまま、帰ってこなかった』というもの。


だが、時とともに、「正しい解釈」は忘れられ、変化していった。変化した原因として一番大きかったのは山科に天智天皇陵が造られたこと。これにより天智天皇は「山科」に行ったまま帰ってこなかったということになった。天智陵のある鏡山も木幡もどちらも山科に属するからだ。また「竜馬」は「馬」に変化した。さらに神仙思想が加わり、『扶桑略記』では、天智が馬に乗り山科に行ったまま、帰ってこなかった。沓の落ちていた場所に陵を造ったということになったのだろう。また、「天に昇った」という部分が残ったケースでは、山科で天智は馬に乗って登天したという伝承となったのだろう。


これらの伝承は倭姫王の歌が変化したものだったのだが、もはや元の話とは大きく異なった別の話のようになってしまい、そして、江戸時代になり、契沖により、(惜しいところまでいったのだが)元は同じ話だと気付くことなく、倭姫王の歌を解釈するための参考資料として採用され、それが現在までこの歌の解釈に大きな影響を与えているということではないかと俺は考える。


自分で言うのも何だが、説得力あると思う。