本当は恐ろしい「ヘンゼルとグレーテル」(1)

この前、某動画サイトにて、アニメを見た。一昔前に流行した「本当は恐ろしい」式のもの。この手の話は、俺はよく知らないのだが、トンデモが多いらしいのだけれど、「ヘンゼルとグレーテル」に関しては、演出過剰気味だとは思うけれど、ある程度的を射ているのではないかと思う。


どの部分がそうだと思うのかというと、ヘンゼルとグレーテルは無邪気な子供ではなくて残酷な子供ってところ(というか無邪気に残酷だと言うべきか)。


そのことについて考えてみたいと思うんだけれど、その前に書いておかなければならないのは、「ヘンゼルとグレーテル」の話と類似した話が日本に存在するということ。その話というのは「姥捨て伝説」。「ヘンゼルとグレーテル」では、ヘンゼルがパンくずを道の上に落として、家に帰るための目印とした。一方「姥捨て伝説」には、親が、花や木の枝を折って息子が山から降りる時のための目印にしたという話がある。同じ話が東西に伝わったのだろう。


「姥捨て」が本当にあった話と考えている人は多いようだが、史実ではないというのが定説。これはインド源流の話と考えられていて、古くは平安時代成立の『大和物語』に記されている。


(参考)
大和物語の部屋


『大和物語』の「姥捨」は、男が早くに親を亡くして伯母に育てられていたが、男の妻が姑を嫌って、妻に山に捨てて来いと言われた男は、実行しようとしたのだけれど、やっぱりそれは出来なくて、連れて戻ったという話。飢饉の時の話ではないし、木の枝等で目印を作ったという話もないけれど、妻が夫にけしかけるという点では、「ヘンゼルとグレーテル」と一致している。


知っている人は知っていることだけれど、意外に知られていないと思うので、一応書いておく。