いい国つくろう鎌倉幕府

鎌倉幕府の成立」は「1192年」ではないという話題をよく耳にする。

 東京書籍などによると、92年は源頼朝征夷大将軍に就いた年。頼朝は85年、軍事・行政官「守護」や、税金集めなどをする「地頭」を任命する権利を得、幕府の制度を整えたのだという。

asahi.com:中学校の歴史 1192は違うの?鎌倉幕府成立 - 教科SHOW - 小中学校 - 教育


1192年は源頼朝征夷大将軍に就いた年。頼朝の将軍就任の年が実は1192年ではなかったということではない。「鎌倉幕府の成立」とされる年が変更されたという話。新発見があって歴史が見直されたということではなくて、歴史の見方が変化したということだろう

鎌倉幕府の成立時期については諸説あり、その理由としては、鎌倉幕府がその武家政権としての体制を整えるまでにはいくつかの段階を経ていることがあげられる(後述)。

鎌倉幕府(ウィキペディア)


ところで、そもそも「幕府」とは何か?

「幕」は帳幕・天幕を意味し、「府」は王室等の財宝や文書を収める場所、転じて役所を意味する。中国の戦国時代、王に代わって指揮を取る出先の将軍が張った陣地を幕府と呼んだことに由来する。それが日本に来ては、近衛大将唐名となり、幕下あるいは柳営ともいった。その後右近衛大将源頼朝征夷大将軍に任ぜられたことから、転じて征夷大将軍の別称ともなった。そして征夷大将軍の遠征時の本陣(本営)を指した。戦時の司令部であった場所を平定後も政策発信地とし、実質的に武家政権の政庁となっていった。

幕府(ウィキペディア)


通常、「幕府」とは「征夷大将軍」が開くものと認識されている。だからこそ鎌倉幕府の成立は源頼朝征夷大将軍となった1192年とされてきたのだろう(ちなみに頼朝は1190年に右近衛大将に就任しているから、それを採用すれば1190年になる)。それが1185年に変更になるとは一体どういうことか?それを「幕府」と呼べるのか?わけがわからない。しかし、

「幕府」という武家政権による政治形態は、室町幕府江戸幕府へと継承された。幕府という政権名称について、『吾妻鏡』に征夷大将軍の館を「幕府」と称している例が見られるが、当時、武家政権を「幕府」と呼んでいたわけではない。朝廷・公家は関東と呼び、武士からは鎌倉殿と、一般からは武家と称されることが多かった。武家政権を幕府と称したのは江戸時代になってからのことである。

鎌倉幕府(ウィキペディア)

とあるように、「幕府」は江戸時代になってからの称であって当時の人がそう呼んだわけではない。当時の政権について考える際に、後世の呼び名である「幕府」の言葉に縛られてしまうと、「幕府」なのだから、将軍就任の年が「幕府の成立」した年ということになってしまうけれど、それは後世の感覚であって当時の感覚ではない。それ以前から「後に幕府と呼ばれるようになる制度」が存在しているのであれば、そこを「幕府の成立」とすべきとなる。しかし、それをそもそも「幕府」と呼ぶのが適切なのかという疑問がある。そしてこの統治形態を「幕府」と呼ばないことにすれば、そもそも「鎌倉幕府の成立は何年か」という時代を区切る問題自体が、それほど意味のあるものではなく、徐々に成立したとすれば良い話であるように思える。ただ「幕府」という言葉は長年慣れ親しんできたものであるし、後の武家政権との関係を考える上で便利な言葉でもある。


非常にややこしい話で、俺も実のところ良く理解できていない。