トラトラトラ

上杉謙信は享禄3年(1530)1月21日生まれ。謙信は寅年・寅月・寅日生まれだと思っていたのだけれど、実際は庚寅年・戊寅月・壬子日なのだそうだ。母は「虎御前」。長尾虎千代→景虎上杉政虎→輝虎。天正6年(1578)3月13日没。享年49歳。寅年に生まれ寅年に没した。


自ら毘沙門天の転生であると信じていたとされる。鞍馬寺の縁起では、鑑真和上の高弟・鑑禎上人が霊夢で白馬に導かれて鞍馬山に登り、鬼女に襲われたところを毘沙門天に助けられた。それが寅の月、寅の日、寅の刻だった。そこで鑑禎上人は草庵を結び、毘沙門天を祀ったという。また、信貴山朝護孫子寺の縁起によると、聖徳太子が、朝敵物部守屋を討伐しようとこの山に来て、戦勝の祈願をすると、天空遙かに毘沙門天が出現して、必勝の秘法を授けてくれた。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻であったという。ちなみに聖徳太子も享年49歳。


(参考)
上杉謙信は寅年生まれ
毘沙門天の虎-1


謙信が生まれた12年後の天文11年(1542)、干支は壬寅。この年、諏訪頼重武田信玄の妹・禰々との間に生まれたのが「寅王丸」。去年の大河ドラマ風林火山』にも登場。今川義元を頼って亡命しようと試みたが、露見したために捕えられて殺されたというが、越後へ出奔し、上杉謙信に、その美貌と胆力とを愛され、春日山城内に住むことを許されて優遇されたとも伝えられる。
長岌(ウィキペディア)


同じく天文11年12月26日に三河で生まれたのが「竹千代」。「寅の日の寅の刻」なのだそうだが未確認。


(参考)
寅童子(愛知県南設楽郡鳳来町)
秀吉から家康へ
(家康と虎については面白そうなのでもっと調べてみるつもり)


ところで、生まれる人があれば世を去る人もいる。

以前は、隠居して間もない天文5年12月24日(1536年2月4日)に死去したとされていたが、最近では、没年を天文11年12月24日(1542年1月29日)とする説が有力となっており、隠居後もしばらく存命していたことになる。

この人物が誰かというと「長尾為景」。上杉謙信の父。
長尾為景(ウィキペディア)


さらに、その12年後、天文23年(1554・甲寅)に生まれたのが上杉景虎。謙信はとことん「寅」と縁がある。


というか、話が出来過ぎじゃなかろうかという気もする。しかし、逆に不思議なのは何で謙信は寅の日に生まれなかったのかということ。それが「事実」だからと言われれば身も蓋もないが、誕生日を改竄することは容易なことだと思う。寅日に生まれたと伝えられているが史料を検証すると実はそうではないという話なのか、最初から「事実」のみが伝えられていたとうことなのか?ネットで調べてもよくわからない。