大陸移動説と聖徳太子

大陸移動説は「南アメリカ大陸東海岸線とアフリカ大陸の西海岸線がよく似ていること」に気づいたことから出てきた説。現在ではプレートテクトニクス理論が定説となっているけれど、それがなかった時代に、この「似ている」ということがどう解釈されてきたのかに関心があるけれど、よくわからない。


ところで、「似ている」と言えば、聖徳太子イエス・キリスト

「厩の前で生まれた」、「母・間人皇女は救世観音が胎内に入り、皇子を身籠もった」などの太子出生伝説に関して、「記紀編纂当時既に中国に伝来していた景教キリスト教ネストリウス派)の福音書の内容などが日本に伝わり、その中からイエス・キリスト誕生の逸話が貴種出生譚として聖徳太子伝説に借用された」との可能性を唱える研究者(久米邦武が代表例)もいる[14]。 しかし、一般的には、当時の国際色豊かな中国の思想・文化が流入した影響と見なす説が主流である。ちなみに出生の西暦574年の干支は甲午(きのえうま)でいわゆる午年であるし、また古代中国にも観音や神仙により受胎するというモチーフが成立し得たと考えられている(イエスよりさらに昔の釈迦出生の際の逸話にも似ている)。

聖徳太子 – Wikipedia


俺も、キリストと聖徳太子の伝記は「似ている」と思うんですね。ただし、似ていると思うだけで、それ以上のことがわからないんですね。海岸線が似ているけれど、それがどうしてかわからないと言うのと同じように。で、わからないながらも興味はあるわけですよ。


ウィキペディアは否定的に書いている。そりゃ受胎については類話が世界中にあることは知っている。けれどイエスは「馬小屋」で産まれ、聖徳太子の母は「厩の戸」に当たって産気付いたという伝説があるわけで、それを単に受胎の件のみで片付けるわけにはいかないでしょう。



と、今の今まで考えて、この記事でも、そういうことについて書くつもりだったのだが、なななななんと!!