疑似科学と大陸移動説

現代から見ると不自然な陸橋説より、よっぽど説明力があるように思える大陸移動説が受け入れられなかった理由の一つに、大陸を動かす原動力の説明ができなかったことがよく取り上げられる。しかし最も重要な問題は、当時の物理学では大陸が動くことを直接的に証明する方法がなかった点にある。地形、地質・古生物・古気候の数々の資料を ヴェーゲナーは証拠として提示したが、いずれも状況証拠に過ぎず、当時の一般概念を覆すほどの証拠とは見なされなかった。実際、ヴェーゲナー自身も『大陸と海洋の起源』の中で「測地学的議論」の章を設け、「現在の大陸の位置変化を実測する定量的証明こそ大部分の研究者が最も厳密で信頼できる大陸移動説の検証である」と述べている。

大陸移動説 – Wikipedia


この件についてはこのブログの最初の方に書いた。
疑似科学


ヴェーゲナーの業績は「大陸移動説」を提唱したこと。

1910年にヴェーゲナーは、世界地図(イギリスが中心に描かれているもの)を見て、南大西洋を挟んで、南アメリカ大陸東海岸線とアフリカ大陸の西海岸線がよく似ていることに気づいた。これが大陸移動のアイデアの元となった。

アルフレート・ヴェーゲナー - Wikipedia


ところで、「南アメリカ大陸東海岸線とアフリカ大陸の西海岸線がよく似ていること」に最初に気付いたのはヴェーゲナーではない。

その過程で気づかれたのが、アメリカ大陸とアフリカ大陸との海岸線の形がよく似ていることであった。このことをいち早く取り上げたのがフランシス・ベーコン(Francis Bacon、1561〜1626)であった。彼は1620年の『新機関』なる著作で学問の方法やあり方を論じる中で一つの例として この両大陸海岸の類似性を取り上げたという。ただ、その類似性の原因は論じていない。

科学の歩みところどころ

大陸が移動するという考えは、実は非常に古くからあり、大航海時代の多くの探検家によってアフリカと南アメリカの海岸線が一致していることが知られていた。1620年のフランシス・ベーコンはこのような一致が偶然であるとはまず考えられないという見解を示した。

"Continental Drift"(小林寛三Homepage)


ヴェーゲナーの約300年前に既にフランシス・ベーコンが指摘していたのであった。


※ちなみに、俺はベーコンの記述を直接見ていない。下記のように「移動した可能性」に言及したとする記事もある。

哲学者のフランシス・ベーコン(Francis Bacon、1561-1626)が大西洋両岸の大陸が移動した可能性を指摘したという話まで残っている。

河野(1986)による〔『地球科学入門−プレート・テクトニクス』(1-9p)から〕(地球資源論研究室)

このような考え方は、すでにフランシス・ベーコンの1620年代の『ノヴム・オルガヌム』や『ニューアトランティス』にも発祥していたもので、それをフランソワ・ブラースが『大宇宙と小宇宙の堕落』(1666)で空想化していた。

松岡正剛の千夜千冊 『失われたムー大陸』ジェームズ・チャーチワード



それはともかく、フランシス・ベーコンが最初に類似しているということに言及した人ということになるが、しかし、それが最初に類似していることに気付いたと人となるのかはわからない。その前に気付いた無名の人がいたかもしれない。その後もベーコンの言及を知らずに気付いた人もいるだろう。


世界地図を眺めていれば誰もが気付くというわけではないけれど、気付いた人は少なからずいただろう。大陸移動があろうがなかろうが、両大陸の海岸線が類似しているように見えるのだ。その上で様々な考え方が可能になる。大陸が移動したとする考え方もそのうちの一つ。神秘的な説明することも可能だろう。あるいは似ているように見えるけれど偶然だとすることも可能。さらに似ていると思うから似ているように見えるだけで、実はそれほど「似ていない」という考えだってあったかもしれない。わからないというのも考え方の一つ。そして、それぞれの立場に立つとして、感覚的にそう考えるというのもあれば、理論的にそう考えるというのもあるし、絶対に正しいと考えるのもあれば、相対的に正しいと考えるのもあったのでしょうね。


実際にどういう考え方があったのかは無知なので知らないけれど。