「間違っていること」を信じる権利

某ブログで仕入れた情報で、某ブログのコメント欄で、いざこざがあったということを知った。まあよくある話。


いざこざの原因は俺にはどうでもいい話。間違いを指摘したら、間違いではないと反論され、再反論したら、コメントが承認されなくなって、論点のすりかえや印象操作をされた云々。


自分が間違えているということを理解した上で、意地になってそういう態度を取っているとしたなら、これはひどい話。だけど、自分が間違っていないと信じているのなら、それが「ID理論」だろうが「911陰謀論」だろうが何だろうが、そうとは言えないでしょう。間違いを指摘した側も、相手が本心から間違いを認めていないのに、表面的に認めたからメデタシ、メデタシって、それじゃ何のために間違いを指摘したんだって話。


「論点のすりかえ」と言うけれど、それはこっち側から見たらそう見えるかもしれないけれど、向こうにとってはそうではない可能性もある。両者の距離が一向に縮まらないのにしつこく相手の土俵で批判していたら、嫌がらせと受け取られることだってある。


そんな時どうする?どうするも何も、全ては相手が間違いを認めるかどうかにかかっているんであって、こっち側ではどうしようもない話でしょう。それを相手が理解しないのは、相手に悪意があるからだと解釈し、自分はその悪意の被害者だみたいな主張を始めたら、その証拠が十分にあるなら別だけれど、俺はそれがどんなトンデモ理論であろうとも、相手の方に肩入れしたくなってしまう。


(もちろんトンデモ理論はトンデモ理論として批判しなければならないけれど)