「役不足」の使用例

「役不足」両用説 - 猫を償うに猫をもってせよ


これは俺も前から疑問に思っていてネタにしようと思っていたところ。

(1)俳優などが与えられた役に満足しないこと。
(2)能力に対して、役目が軽すぎること。

やくぶそく【役不足】の意味 国語辞典 - goo辞書


これを現代人が「力不足」の意味に誤用しているということについては、飽きるほど聞いたことがあるんだけれど、それ以上の詳しい説明がなかなか見つからない。そもそもいつからある言葉なのかもわからない。江戸時代っぽいけれど、その使用例を示してくれるところがない。


「役不足」(NHK放送文化研究所)
とか詳しいわりに、そこには触れていない。


さんざん探して見つけたのはこれ、

伊勢屋のお店での素人芝居。今日の出し物は天竺徳兵衛。大宮の若旦那が役不足で来ていない。がま蛙の役だという。

古典  蛙茶番(三遊亭金馬3)
艶笑落語特選  蛙茶番


ここで使われている「役不足」は辞書の意味と同じ。だけど微かな疑問が。もしかして「役不足」の意味は、この落語での用法からきてるんじゃないかと…



で、こっからトンデモになっちゃうんだけれど、「役不足」の「役」って「課役」の「役」(えき)じゃないのかと。この場合の「役」は例えば石高などに応じて決まる、つまり、御恩と奉公の関係、大きな田畑を持っているものは、それ相応の義務を果たさなければならない、大土地所有者に小さな役しか課さないのは「役不足」であると…まあ妄想なんだけれど、こっちでも妙に意味が通じてしまいますよね。


(追記)
「課長というポストは私には役不足です」これを力不足の意味で使えば誤用なんですよね、そして「正しい意味」で使っていたとするなら「自惚れている」とされるわけですよね。どっちの意味で使おうが、自分で使うのはよろしくないわけですね。余程自信があるのでなければ。


しかし「この仕事をするには私は役不足です」はどうか?これも誤用なのか?しかし「力不足」の意味で使っているとは限らない。まさに「役が足りない」、つまり「ポストを寄越せ」あるいは「ポストのある人にやらせろ」って話かもしれない。しかも自惚れだとも限らない。然るべきポストに付いていなければ、仕事がはかどらないということは日常的にある話。


つまり「能力」-「役職・給料・名声」-「仕事」の3つを頭に入れて使う必要があるんじゃないのか?頭が混乱してきたけれど。

 しかも女形として五十の坂を越えると、彼も前途を考えなければならなかった。彼は大正の初年から松竹興行会社の専属となって、会社の命ずるままに働いていた。彼は幾何(いくばく)の給料を貰っていたか知らないが、舞台の上では定めて役不足もあったろうと察せられて、その全盛時代を知っている私たちには、さびしく悼(いた)ましく感じられることも少くなかった。

岡本綺堂 源之助の一生(青空文庫)


この場合、沢村源之助という俳優は能力に相応した役が与えられなかったという意味で「役不足」と書いてあるのだろうか?俺にはそうは読めない。名声や歌舞伎への貢献度に比べてって意味じゃあるまいか?「俳優などが与えられた役に満足しないこと」にはあてはまるかもしれないけれど、それも仕方のないことという意識はあったと思われ、一般にイメージするところとは違うような。繰り返しになるけれど、頭が混乱している。


CiNii - "役不足"の「誤用」について : 対義的方向への意味変化の一例として
これ読めば疑問が解消するのかな?