内田樹先生がなんか言ってますけど

増子化対策 (内田樹の研究室)


アフリカは何で人口が増えてるの?


(追記)
これだけじゃ短すぎるから追記する。記事を見て何はともあれツッコミたかったんよ。


アフリカは人口増なのに日本はなぜ人口減なのかつうと、そりゃ、アフリカじゃ子を産めば産みほど「親」は豊かになるからでしょう(それが貧困のスパイラルを引き起こしてるんだろうけど)。アフリカじゃ子は労働力だけど日本じゃ消費者なんですよね。アフリカじゃ短期の投資で回収可能だけど、日本は長期投資。しかも統計があるのか知らないけれど、今の日本で親が死ぬまでに投資を回収できてるのかも怪しい(俺の場合は恥を晒しちゃうけど確実に赤字になるだろう)。


内田先生は、

子供の数が減ったのは、子供の数が増えすぎたからである。

というけれど、この「子供」というのは、もちろんアフリカのように働いて親に貢ぐ「子供」のことではないでしょう。そういう意味の「子供」は日本では少ないでしょう。親に貢ぐのは「大人」になってからで、それも人によるだろうけれど、してない人も多いんじゃないだろうか。

特集:お金にまつわる主観的観測 | 夫として – MSN マネー
これ見ると、「勤労者世帯の送金率は3.3%」だって。

少子化対策と称して「子供を産んだら金をやる」というかたちの利益誘導をするということは、要するにその施策を企画している当の本人たちが「子供はいずれ金になる」と思っているということを露呈している。
もし、「子供を産んだら金をやる」と言われて、「それなら産む」という親がいたら、そのような親から生まれた子供は誕生の瞬間に「金が人間の生き死にを決める」という「金の全能性のイデオロギー」を焼き印されたことになる。
この「金の全能性のイデオロギー」を内面化したせいで成熟を止めてしまった「標準的な個体数」があまりに増えたことが「増子化」(すなわち行政のいう「少子化」)の実態だということに人々はいつ気がつくのであろうか。

って言うけれど、まさに子供を産むのは、「子供を産んだら金になる」ってのが身も蓋もないないけれど、動機としてはあるのであって、そういう動機が日本では欠けているというのが、日本の少子化の原因としてあるんだと思いますね。



で、それはそれとして、


もう何回か書いたことだけれど、「保守」とは何ぞやというときに、国家(巨大権力)と個人の中間に存在するものを重視するのが「保守」であると俺は思ってるわけ。だから何かの問題で、個人と国家、個人と巨大集団というような単純な二元論、あるいは巨大集団と中間集団を「集団」として一まとめに論じるものには、違和感を持つんですね(たとえば国家による強制と中間集団による強制は違うだろ、一まとめに論じるなとか)。


内田先生(保守主義者といわれていると思うが)は「集団」という語を使っているけれど、その「集団」とは何ぞや?日本列島の住人という「大きな集団」のことを言っているのか、家族や親族などの「中間集団」のことを言っているのか?おそらく、そんな区別をする必要があるという考えすらないのではないか?(よくあることだが)


だけど、「大きな集団」と「中間集団」の利害が必ず一致するとは限らないのだ。たとえば個人としては子を産みたくない、しかし家族集団の圧力が子を産ませる、ところが国家としては子が増えると貧困化が進行する、なんてことは普通にありますよね。