内田樹先生がなんか言ってますけど(パート2)

増子化対策 (内田樹の研究室)
はてなブックマーク - 増子化対策 (内田樹の研究室)
現在はてなで266件もブックマークされてる。その割に言及ブログが少ない。つっこみどころの多い「おいしい」記事なのに…


どうして?いつものことだから?つっこんだら負けだと思ってるから?


前々から思っていたんだけれど、内田樹氏の記事に付くコメントに「釣りでしょ」とか「先生はわざとやっている」的なものを良く見かける(今回ほとんど見かけないけれど)。ありゃなんなんだと?俺は「釣り」だとは全く思わないし、万に一つ本人が「釣り」のつもりで書いているのだとしても、「つっこんだら負け」なんてことは全くないし、それで「ネタにマジレスかっこ悪い」みたいなこと言うやつがいたら、そいつの方がおかしいと思う。


あまりにもつっこみどころが多いと、つっこむ気力が萎えるってのもあるかもしれないけれど。「一個のボケは総ツッコミを受けるが百万個のボケは英雄」ってことか?違うか…



まあ、いいや。

同じことを何度も書くのも疲れるけれど、基本的なことなので、繰り返す。
少子化問題」というものは存在しない。
例えば、新石器時代に「少子化問題」というものは存在しなかっただろう(その時代に生きたことがないので想像だが)。
その時代の集団において、「最近、みんな結婚しないし、子供が生まれないのはまことに困ったことだ」というような問題があったとは思えない。
そんな問題をかかえた集団は数世代で(はやければ一世代で)消滅してしまったはずだから、そもそもそれが「問題」として意識される暇さえなかった。

夫婦に子が出来なければ子孫はできない。親と二人の子が同居している「集団」なら、どちらかの子が子を作らなければ家が断絶する。親類縁者が同居する大家族なら少子化でも断絶するには数世代必要だろう。ただし、人の一生はそれなりに長く、若い世代が老人を養う習慣(本能?)はあったはずだから、卵を産んだら親が死んでしまうような虫や動物とは違って『そもそれが「問題」として意識される暇さえなかった』なんてことは「当事者にとっては」ないはずだし、それは現代よりも遙かに深刻な問題だったはずだ(もちろん寿命は現代より遙かに短かったけど)。


問題がなかったというのは、集団が滅んでしまえば、問題のある集団そのものが消滅してしまうということで、生き残った集団は問題を抱えていなかった集団であったということでしょう。生き残った集団にとっては、滅んだ集団は「赤の他人」だっつうことでしょう。しかし、生き残った集団だって少子化問題をその時点では抱えていないが、将来は抱えるかもしれない。そして抱えてしまえば、集団は消滅してしまうかもしれない。日本人という集団だって、将来滅んでしまう可能性がないわけではない。そして滅んでしまったら、その時点で日本人の少子化問題は、「他人事」になってしまう。


内田先生は集団を外部から見ているけれど、我々は「当事者」なんである。そして日本人が滅ぶか滅ばないかは現時点では予測不能(滅ばない可能性が高いとは思うけれど)なんである。内田先生の論理を使えば、もし滅んでしまえば、生き残った外部の人々は「我々には少子化問題はなかった」と言うだろうし、滅ばなかったとすれば「日本人に少子化問題などなかった」ということになるでしょう。