子供手当てが「諸条件の平等」?

歴史的政権交代から約一ヶ月が過ぎ矢継ぎ早にマニフェスト、実行に向けて政策議論を活発化させています。自民党政権が左翼化して以来、自民党的「大きな政府論」と民主党的「巨大な政府論」との審判に国民は「巨大な政府」を選択しましたが、私はそのマニフェストの中の「子供手当て」を中心とする社会保障政策と「地方分権(主権)などの統治権の問題を勘案しますと、近代市民権が確立して以来、かつてない危険な政権が誕生しつつあると思っています。

フランスの思想家で政治家でもあるトクヴィルは「諸条件の平等を追求すると専制政治を生む」といっています。平等を追求することは中央集権的政治体制による「政治的専制」を呼び、それを回避するために「地方自治」が必要であると、彼はアメリカ合衆国への旅行後に著した「アメリカのデモクラシー」で言及しています。そして「諸条件の自由こそ必要であり、究極はその両方の衡平、バランスが重要である」とも言及しています。

アゴラ : 隷従国家日本 ―中川信博―


この論理は、ちょっと俺には理解できない。子供手当てって平等の追求というより、むしろ優遇政策であって不平等な政策じゃね?


子供を産む産まないは、自由選択であり、それにより生じるコストは自己で負担すべきであって、他人がそれを負担する義理はないはず。コスト負担が嫌なら産まなければいい。


それをあえてするのは、少子化問題が社会的な問題であるからでは?子育てに必要なコストを国家が負担することによって、インセンティブを与えようというんじゃないんですかね?


子供手当てに問題があるとすれば、それは「諸条件の平等」を追求することにあるんじゃなくて、国家が国民の行動をコントロールしようとしているところにあるんだと思いますけどね。


(追記10/8)
つか、今日改めて読み直してみたけれど、この人の書いてることって、そういうこと以前に支離滅裂じゃね?保守的な言論のパッチワークで一見もっともらしく見えてるけれどさ。アゴラって池田信夫氏が参加してるから、(支持できるか否かはともかくも)それなりにまともな言論が集まってると思ってたんだけど、そうでもないみたい。