「神武東征」(その8)

東征の理由は「日本書紀」には、

代々父祖の神々は善性をしき、恩沢がゆき渡った。天孫が降臨されてから、百七十九万二千四百七十余年になる。しかし遠い所の国では、まだ王の恵みが及ばず、村々はそれぞれの長があって、境を設け相争っている。さてまた塩土の翁に聞くと『東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。その中へ天の磐舟に乗って、とび降ってきた者がある』と。思うにその土地は、大業をひろめ天下を治めるによいであろう。きっとこの国の中心地だろう。そのとび降ってきた者は、饒速日というものであろう。そこに行って都をつくるにかぎる」と。

とある(『全現代語訳 日本書紀宇治谷孟 講談社学術文庫)。


古事記」では、

その同母兄のイツセノ命と二柱で、高千穂宮におられて御相談になって、「どこの地にいたならば、安らかに天下の政を執り行うことができるだろう。やはり東の方に都の地を求めて行こうと思う」と仰せられて、ただちに日向から出発して筑紫国においでになった。

とある(『古事記(中)全訳注』次田真幸 講談社学術文庫)。



これについては色々論じられているけれど、「神話的な考察」にはどのようなものがあるのだろう?俺はあまり見たことがない。


俺は東征の「理由」として、これはこれで伝説としてあったのかもしれないけれど、伝えられていない(抹消された?)「動機」があった可能性があるのではないかと思う。



一つの可能性は、神武らは高千穂を「追放」されたのかもしれないという可能性。


スサノオ高天原を追放されて出雲の国に行き、ヤマタノオロチを退治して、クシイナダヒメとの間にオオアナムチが産まれた。「旧約聖書」のアダムとイヴはエデンの園を追放され人類の祖となった。その子のカインは「エデンの東」に追放された。
カイン - Wikipedia
(カインは英雄とはされていないかもしれないけれど、英雄的な要素があると思う)



もう一つの可能性は、高千穂が災害で住むのに適さなくなった可能性。すなわち、「洪水神話」があった可能性。


「洪水神話」といえば「ノアの箱舟」が有名。大洪水でノアとその家族以外の人類は滅び、地上に住めなくなったノア達は箱舟に乗り込み、その後地上に戻ってその後の人類の祖となった。


また、ジェームズ・フレイザーによると「ソドムとゴモラ」も「洪水伝説」であるという。
ソドムとゴモラ - Wikipedia
ロト (聖書) - Wikipedia
生き残ったのはロトとその娘達で、

その後、彼らは山中の洞窟に移住したが、ここで娘たちは父を酔わせ、父によって男子を一人ずつ生んだ。長女の息子は「モアブ(父親より)」と名付けられモアブ人の祖となり、また、次女の息子は「ベン・アミ(私の肉親の子)」と名付けられ後にアンモンの人々の祖となった。

これも始祖伝説の一種だろう。


日本には大規模な洪水伝説は存在しないと言われているが、津波・洪水、あるいは地震や火山の噴火などにより、かつて栄えていた町や島が水没したり衰退したりして、そこから移住した人の子孫が今はどこそこに住んでいるという伝説なら山ほどある。


元々の「神話」にそういう要素があった可能性が十分あると思うのだ。


(つづく予定)