経済のブログって

経済関係の記事が中心のブログを書く人って、やっぱその方面に関して、一般よりも「わかっている」という自信があるんだと思うんだけど、最近読んだいくつかの人気記事読むと、素人ながら基本的な部分で「?」って思うことがあるんですよね。念のために書くけど、俺と意見が異なるって意味じゃないですよ。それ以前の問題としてハテナマークが脳内に浮かんじゃうんですよね。


たとえば、小さな政府と財政再建が云々という記事があるんだけれど、そこで批判されているようなことを主張している人も多分いるんでしょう。世の中にはいろんな人がいますからね。だけど、それってどんだけ主流になってんのって思う。たとえば小泉政権のやろうとしたことは何だったかというと、「財政再建」とは基礎的財政収支の赤字解消ってことですよね。大きな政府とか小さな政府とか関係ないですよね。で、それを達成するためには、支出を減らすか、収入を増やす(この場合は増税)かしか方法はないわけで、当然増税も視野に入れているけれど、まずは無駄な支出を減らそうって話でしょう。それについて、減らしてはいけない分を減らしたという批判をするなら、それはありだけど、考え方自体がおかしいって話じゃないでしょう。で、高齢化社会なんだから、今後財政支出は拡大するわけで、減らせる分を減らしきった後で残されている手段は増税なわけで、それを否定しないのは当然なわけです。で、「小さな政府」というのは「民間にできることは民間で」「民間活力の向上」という話であって、財政赤字を減らすために民間へとかそういう話じゃないはずですよね(そういう面も多少はあるだろうけど)。財政再建とは別の話ですよね。違いますかね?


また、別件で、新自由主義は「規制緩和・自由競争をすれば経済成長する」とする考え方だと考え、それを批判しているような記事も見たんだけれど、そして確かにそういうことを言っている人もいるけれど、本当はそうではなくて、新自由主義とは「経済成長のためには規制緩和・自由競争が必要だ」という考え方だと思うんですよね。両者は違いますよね。前者の場合は必ず経済成長するという話だけれど、後者はそうじゃないわけです。そもそも「何々すれば何々になる」なんて将来のことがわかるわけがないというのが基本にあるわけで、わかってしまう(と考える)のが計画経済みたいな考え方なわけで、その失敗は歴史が証明しているわけですよね。行き過ぎた市場経済至上主義に反発する気持ちはわかるけれど、というか俺もそういう気持ちはあるけれど、何か前提の部分で違和感があるんですよね。間違ってますかね?